エッセー・評論

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中畑寛之教授
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中畑寛之教授

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中畑寛之教授

 あるノーベル賞作家の小説が本屋の平台にうずたかく積みあげられていた、昨年の光景を覚えていらっしゃる人は結構いるのではないか。アルベール・カミュが1947年に出版した『ペスト』は、あらためて世界中でベストセラーとなった。作品は冒頭、階段で主人公がネズミの死骸につまずくという何げない挿話によって、恐ろしい疫病の発生を告げている。扉に刻まれた記号、贈られるバラ、机の上の手紙、どんなささいなものであっても物語の中では兆し、つまりは事件の原因や鍵として、ぼんやり意識され、結末に至って「あぁ」と腑(ふ)に落ちる。

 では、私たちの生活においてはどうだろうか? マンションの階段でネズミが死んでいれば、不可解さをはっきりと認識しつつも、管理人の怠慢に毒づくか、ひょいとまたいで避けて通ればもう忘れている。あるいは、早起きのうっかり者が人目につくより先に片付けてしまったかもしれない。であれば、足を不意に取られることもないだろう。兆しとは本質的に見落とされるものなのだ。それゆえ、気づいたときにはすでに遅い。

■扇情的なイメージに戦慄する

 「そういえば」と、私たちは事後的になら容易に想起できる。けれども、災禍が静かに、だが確実に忍び寄ってきている段階で感じ取ることはまずない。なぜか? 未来予測の問題? それなら技術の進歩が解決してくれるかもしれない? いや、事の深刻さを見定めるのはなかなか難しいのである。

 甚だ不謹慎な比較例で恐縮だが、風邪がはやるパリで数週間増え続ける死者5千人と、エッフェル塔の一瞬の倒壊による犠牲者500人という、二つの出来事を想像してみよう。得てして私たちが戦慄(せんりつ)するのは、統計的な数字よりも扇情的なイメージの方である。前者が現実と教えられ、後者はフィクションと分かっていても、その印象は変わるまい。

 1889年秋ごろから断続的に流行を繰り返し、95年春にようやく終息したインフルエンザは推計100万人もの命を奪う。俗にロシア風邪とも呼ばれ、確認できる限りで、コロナウイルスによる初のパンデミック(世界的大流行)とする研究者もいる。鉄道網の急速な発達が感染拡大を後押ししたともいう。歴史から学ぶならば、私たちも今しばらくは油断できないことが分かってくる。

 病であれ、自然災害であれ、人為のものであれ、「危機」の兆候を捉えるには、どうやら私たち自身の想像力が重要になりそうだ。面前で何やらうごめく出来事に対し、「これは何を意味し得るのか?」と問うことがリテラシーの訓練には最適である。

■言葉そのものが機能不全に

 19世紀末のフランスも、伝染病だけでなく、さまざまな危機をはらんでいた。例えば、パナマ運河を建設していた会社から多数の政治家が賄賂を受けていた、と暴露される事件。結局、ほとんどの容疑者は訴追されずに終わり、政治の信用を失墜させた。このスキャンダルに対し、1人のアナキストが下院の議場に爆弾を投げ込む。

 社会的・政治的な不正や不公平に直面した際、私たち個人に可能な、個人による道義的な異議申し立ては、どのような形をとり得るか。この問いが実はアナキズム思想の原点なのだが、残念ながら、当時は「行動によるプロパガンダ」を選ぶ者が後を絶たなかった。

 しかも、その行為には大衆だけでなく文学者たちも共感した。象牙の塔にこもって難解な詩を書いているとやゆされた象徴派の詩人ステファヌ・マラルメは、この一件について簡潔に述べた。「私は爆弾なんて知りません、書物のほかには」-。

 いかにも彼らしいコメントだ。爆弾と書物を突き合わせてみせる軽妙な手つきが、アナロジー(類推)の効果によって、社会にささやかな衝撃を与える。

 だが想像するに、詩人の批判は、本来なら真実を解明するはずの言葉がまったくさく裂しなかった、という事態にこそ向けられているに違いない。私たちの社会を成り立たせるには言葉の効果的な布置を探らねばならない。それは文学の問題となる。それゆえ爆弾の投てきとは、言葉そのものが今や機能不全に陥っている危機の証しとみるべきなのだ。

 文学の存在理由を自ら疑わざるを得ない時代にあっても、マラルメは文学への信を失うことなく、「書く」という営みを誠実に問い、〈詩〉の在りかを厳しくただす作品を産出してみせた。

 ますます混迷し、文学の余地などもはや残されてはいないような21世紀の現在時。しかし、100年以上も昔に1人の詩人が孤独に示し続けた、その姿勢の有効性はいささかも失われていない。

【なかはた・ひろゆき】1968年、福井県生まれ。神戸大大学院文化学研究科単位修得満期退学。専門は19世紀フランス文学。2018年から現職。

<ブックレビュー>

◆マラルメ詩集 渡辺守章訳(岩波文庫)

 翻訳という作業によって日本語それ自体がしなやかに鍛えあげられていく現場では、注釈を介した文化史的な知見もさまざまに交錯する。難解極まるマラルメの詩を読み解く楽しみが大いに味わえる一冊。

◆アナキズムの歴史 支配に抗する思想と運動 ルース・キンナ著、米山裕子訳(河出書房新社)

 負のイメージを強く帯びてしまったアナキズムだが、この思想は力強く生き延び、今や新たな可能性を開きつつある。その歴史を顧みれば、権力と個人の自由という単純な対立図式を超克する、来るべき未来の展望が想像できるだろう。

<P.S.>詩集との幸運な出会い

 私の研究の原点には幸運な出会いがありました。やりたいこととできそうなことの迫間(はざま)でどうしたものかと、書店の棚の間をぶらぶらと歩くうち、人待ち顔で平台にたたずむ『骰子一擲(とうしいってき)』の翻訳を見つけたのです。マラルメ最晩年の問題作で、現代の詩にも思想にも大きな影響を与え続けています。ページを開いた瞬間から、空白をまとって躍る活字配置、そのきらきらする言葉の花火をいったいどう読んだらいいのかと、何とも深く引かれてしまいました。翻訳者と出版社、そして書店に今も感謝する“事件”でした。

2021/2/20
 

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