少し前になるけれど、友人が「うどん好き?」と聞いてきた。「好きやけど、なんで?」と聞き返すと、
「ボクの友達が北海道で民宿をしててな、そこに北海道から南下して沖縄まで、さぬきうどんを打って旅してる若い男の子が来てな、彼のうどん食べたら、めっちゃおいしかってんて! もし神戸に彼が来たら、その子のうどん食べてみいひん?」。
「カフェ ハル」という喫茶店で話をしていると、店主のハルちゃんが、「この子ちゃう?」と、BE-PALという雑誌を広げてみせてくれた。うどんを打ちながら旅をしている竹原友徳くん、という記事があり、店にいたみんなが注目した。
その後、神戸まで彼が南下してきたので、連絡をとり、「ハル」で友人たちと彼のうどんを食べた。めっちゃくちゃ、おいしかった。みんな大ファンになった。
ちょうどボクが神戸で展覧会中ということもあって、竹原くんが絵を見に来てくれた。絵を気に入ってくれて、その夜、2人で「みみみ堂」というカレー屋で夕食をとった。
その時、竹原くんから、
「ボクはうどんの旅を沖縄まで続けるし、故郷の綾部(京都)で店を出す準備もある。全部で2年半ぐらい時間がかかるけれど、ボクがやがて店を開いたら、WAKKUNが屋号の字とか絵とかを描いてくれますか?」と、うれしい申し出があった。
そして、1年少しして「旅が終わりました」と彼から手紙が届いた。また1年して「いよいよ綾部で、『竹松うどん店』という屋号の店を開きます!」と連絡があった。
いよいよ綾部にボクが行って、約束の屋号を描く日がやって来た。
2年半ほどの旅の途中、益子(栃木)で陶芸をしていた妙さんというステキな嫁さんもみつけ、うどんの味が深く、まろやかになっていた。
屋号を描く日、綾部のご近所の方々がたくさん見守り、取材のテレビカメラも回る中、ボクは思い切り心をこめて屋号と絵を描いた。
夢中で描いて、筆を置くと、見守ってくださっていたみなさんの間から拍手がわきあがり、竹原くんのお母さんが涙ぐんでおられた。
お母さんはボクに近づいてこられて、こう話されました。
「3人兄弟で、上は勉強が好きで次男は絵とかスポーツが好きで、三男の彼はこれ(、、)といったものがなかったものの、小さい頃から人の間でいつもニコニコして愛されていたので、私は『勉強しなさい!』とか『あれをしなさい!』とか、彼に何も言わなかったら…こんなええ子(、、、)ができたんです」。目に涙をためながら、誇らしげにおっしゃいました。
話を聞いたボクはうれしくなって胸が熱くなり、涙がうかんできたのでした。(涌嶋克己、イラストも)
【わくしま・かつみ】1950年神戸市長田区生まれ。画家、イラストレーター、絵本作家。86年から個展やグループ展を開催。WAKKUN(わっくん)の愛称で知られる。同区在住。
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