ボクは今、70歳になる絵かきです。
ボクは若い頃、京都の龍谷大学法学部に籍を置いていました。
3回生になって親族、相続法概論というゼミを受けていたある日、突然、講義中に数人の学生が乱入してきたのでした。
彼らは「本学は視覚障害のある人に入学試験の門戸を開いている大学なのに、来年度以降、その門戸を閉ざすといわれている。本学の開学の精神からしたら、それが正しいのか? 基本的人権のことを学んでいる法学部の諸君とディスカッションをした上で、共に門戸を開くよう、声をあげたいのだ」と訴えてきた。
教授が冷静に「それなら、このゼミの諸君に挙手で賛否を問うてもよいか?」と提案すると、乱入してきた学生たちはうなずいた。
「ゼミの時間を討論会にチェンジしたい人!」の声に、手を挙げたのは13人中、ボク1人だけだった。
「よし、多数決で決まったので、約束どおり教室から出ていってくれたまえ!」の教授の声に、一番アジっていた学生は、目に涙をいっぱいためながら声をふりしぼり、「この瞬間にも、視覚障害のあるボクの友人は、今、そこに座っている、あなた方の五十倍、百倍の努力をし時間をかけながら法学を勉強しているのだ。心にかすかな希望をもち努力している彼らのことを、あなた方は、どう思っているのだ」と叫んだ。
ボクはうつむいたまま、彼らの顔を直視できなかった。
彼らが部屋を出てゆき、やがてゼミがはじまったが、何も頭にはいらなかった…。
京都から神戸に帰ったボクは家で朝まで一睡もできなかった。
一度でもボクは障害がありながらも努力している彼らのように真剣に自分の道を選び努力しながら歩いてきたのだろうか?と自問した。
そして、もし人生で彼らにバッタリ出会って、「涌嶋さん、生きていますか?」と問われたら「オレも生きてるでェ!」と言えるだろうか?と自問し続けた…。
本当は絵が大好きなのに、学費等の理由で芸術系大学に進まなかったので、学歴がないコンプレックスで絵の道を半ばあきらめ、何の努力もしないでいる心の弱さに気づいていった。努力して勉強している彼らこそこの大学にふさわしい人間で、ボクは、そうではないのだと感じた…。
そして、昨日あった出来事は、自分自身の心の宿題だったんだということにも気づいていった。
よく朝、ボクは大学を辞めることに決めた。
徹夜して目を赤くしたまま京都に行き、教授に一晩中考えて出した結論を伝えた。
そして、その足で神戸に帰り、三宮の駅から父親の勤め先に電話を入れ、喫茶店に呼び出した。
「3年間、授業料を出してもらい、ありがとうございました」。礼を述べてから、昨日の話をし、大学を辞める決心を伝えた。
3時間ほど真剣に自分の心を打ち明け、説得してゆくと、父もやがてうなずいてくれた。
それからはアルバイトしながら絵を描き、いろんな人に出会い、いろんな種をもらいながら30代半ばになってやっとプロになってゆきました。
今なお、絵かき人生を右往左往しながら歩き続けているのですが、そんなボクがひとつだけ、はっきり言えることがあります。
あの視覚障害がありながら努力してきた人とバッタリ出会った時。
「涌嶋さん、生きていますか?」と聞かれたら、「生きてるでェ!」とはっきり言い切れることです。(涌嶋克己)
【わくしま・かつみ】1950年神戸市長田区生まれ。画家、イラストレーター、絵本作家。86年から個展やグループ展を開催。WAKKUN(わっくん)の愛称で知られる。同区在住。
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