小学校の頃、すぐ近所にいくつか貸本屋があった。そこは学校でも家でもない特別な場所でそれぞれの立場の子どもたちが本を通して、ちょこっと自分の心を置く場所でもあった。長田高校(神戸市長田区)の前に「平田」という名の貸本屋があり、「貸し本」と書く方がボク的にはピッタリの店で、なんだかゆったりとした空気が店にただよっていて、しかも新刊が早く店に並ぶのでよく通っていた。
店ではM君という中学生と時々出会った。彼は平田弘史さんとか小島剛夕さんなど侍の時代まんがの主人公たちを実にうまく描くことができた。
彼の絵を見るたび「あのぐらいうまくなりたいな」と思い、あこがれていた。
ある日「平田」で棚から借りたいまんがを取り出し、台の後ろで座ってる平田のおばちゃんに持っていこうとしたら、本棚をはさんで死角になっていて姿は見えなかったけど、「おばちゃん、これ!」と本をさし出した様子のM君の声がした。
すると「M君、あんた、今、学校、停学中やねんてなァ」とおばちゃんの声。続けて、「何があったか知らんけど、おばちゃんは、あんたが根がやさしいええ子やいうこと、ちゃんと知ってるねんでェ!」。なおこう続けた。「M君、あんた、あんたの母ちゃんのために誕生日に豆炭(まめたん)アンカ(暖房器具)こうて、プレゼントしたやろ? あんたがいろんな手伝いしてかせいだり、小遣いためたお金で、お母ちゃんにこうたこと、しかも、そのことあんた他の誰にも言うてないみたいやなぁ」。
「……」。M君はだまって聞いてる様子…。
「なんで、おばちゃんがそのこと知ってるか、M君、あんたわかるか? 実は豆炭アンカ売った店のおばちゃんは、わたしの友だちやから、その人が教えてくれたんや」
「あんた、ホンマにやさしいなぁ! おばちゃん、あんたの心根(こころね)がホンマにやさしい、いうこと、誰よりもよー知ってるねんでェ」と、続けると、M君は「おばちゃん、ありがとう!」。大きな泣き声を残し、貸本屋を飛び出していったんやった。
そんなやりとりを聞いてたボクは何や胸がいっぱいになって、しばらくそこを動けんかった。
やがて、少しボクの気持ちもおちついたから、おばちゃんに借りたい本を持っていくと、平田のおばちゃんの目に、まだ光るもんが残っとった。(涌嶋克己、イラストも)
【わくしま・かつみ】1950年神戸市長田区生まれ。画家、イラストレーター、絵本作家。86年から個展やグループ展を開催。WAKKUN(わっくん)の愛称で知られる。同区在住。
2020/6/10(16)ネギをハサミで切ってみると2021/7/14
(15)何と不思議なうれしい縁2021/6/9
(14)次の一歩、踏み出す勇気を2021/5/12
(13)いつもニコニコ、愛されて2021/4/14
(12)ウールでもない、絹でもない2021/3/10
(11)探して、味わって、発表して2021/2/10
(10)味わったのは、あたたかな空気2021/1/13
(9)心と、人と、つながっている2020/12/9