沖縄は23日、慰霊の日を迎える。78年前、太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日だ。
その沖縄でいま、日本軍が首里城(那覇市)の地下に構築した「第32軍司令部壕(ごう)」を戦争遺跡として保存・公開する取り組みが進められている。
有識者らでつくる検討委員会が今年3月、沖縄県に出した提言書は、司令部壕を「沖縄戦の方向性を決定づける判断がなされた重要な場所であり、沖縄戦の実相と教訓を伝える歴史的遺産」と定義した。
壕は五つの坑道があり、総延長約1キロ、深い場所で地下30メートルに達する。当時、約千人の将兵や沖縄の軍属、学徒らがいたという。1945年5月、第32軍司令部は本土決戦の時間稼ぎとして、本島南部に撤退して持久戦を続ける方針を決めた。この結果、南部に避難していた住民が凄惨(せいさん)な戦闘に巻き込まれ、甚大な犠牲を強いられたのだ。
壕は、日本軍が撤退時に破壊し、一部が崩落した。過去にも保存・公開に向けた動きはあったが、安全面や財政上の問題などから見送られた経緯がある。しかし、2019年に起きた首里城火災で、司令部壕に再び注目が集まることになった。
戦後78年、戦争体験者の証言をじかに聞くことが難しくなりつつある。司令部壕は、県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦の「過ちを学ぶ場」として欠かせない遺構である。記憶を次世代にいかにつなぐか。体験継承のあり方も考えたい。
司令部壕は、26年の首里城復元完了に合わせた公開が検討されている。沖縄が世界に誇る文化遺産と、地下に眠る「負の遺産」をセットで学ぶ。訪れた人たちが沖縄の「光と影」を心に刻み込む場となってほしい。
