沖縄の本土復帰から今月で51年が過ぎた。昨年迎えた半世紀の節目で、地元紙・琉球新報の特別号には「変わらぬ基地 続く苦悩」の大きな見出しがあった。これは復帰当日、1972年5月15日付1面の主見出しとあえて同じにしたものだ。
「沖縄の変わらぬ現状を読者と共に再認識することが狙いです」と同紙は説明している。
今年2月に91歳で他界した元毎日新聞記者の西山太吉さんは復帰前、日米の密約情報を入手したことで知られる。米軍用地の原状回復補償費を日本が肩代わりするとの内容だった。国家公務員法違反に問われたが、2009年、元外務省アメリカ局長が法廷で密約の存在を証言した。翌年、同省有識者委員会も「広義の密約」と認めた。
地元は密約報道をどう感じたのか。米施政権下の琉球政府職員だった平良(たいら)亀之助さん(86)は「やっぱりそうかと思った。当時、復帰に関する情報が日本政府から全く入らず、疑心暗鬼になっていた」と振り返る。
生前、西山さんは「返還交渉は全てが密約だ。私が触れたのは氷山の一片に過ぎない」と語っていた。平良さんも「闇取引の復帰だった」と言い切る。
復帰関連法案なども当初、琉球政府の中でさえ一部職員が極秘扱いにしていたという。記者経験のある平良さんが偶然その存在に感づき、幹部に進言してプロジェクトチームで問題点を洗い出した。それを基に琉球政府は1971年11月、基地の整理縮小などを求める「復帰措置に関する建議書」をまとめた。
しかし日本政府は門前払いにした。平良さんは「建議書は今も有効だ。生きている」と訴える。言わせているのは「変わらぬ基地」を押しつけ続ける私たち本土の側だと自覚したい。
