日々小論

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 今年は関東大震災の発生から100年。震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として復興計画を立案し、東京の礎を築いた後藤新平の業績を学ぼうと、出身地の岩手県奥州市水沢にある記念館を訪ねた。ちなみに、米大リーグで活躍する大谷翔平選手も水沢出身である。

 案内してくれた職員は、尊敬と親しみを込めて「新平さん」と呼んでいた。意外にも展示で興味をそそられたのは、彼が医者だったことだ。

 後藤は1895年、臨時陸軍検疫部事務官長に就く。前年に起きた日清戦争が終結し、コレラやチフスが大流行していた中国大陸からの帰還兵約23万人を検疫する難題に直面する。

 「その危険で恐るべきこと弾丸よりも大なるものがある」。後藤が感染症を例えた言葉だ。広島県の似島(にのしま)など3カ所に大規模検疫所を短期間で建設し、大型の蒸気式消毒缶を導入した。展示資料に後藤の発案した「検疫作業順序一覧」というチャート図がある。約3カ月で検疫を成し遂げ、感染者を隔離して国内への拡大を未然に防いだ。

 この迅速で徹底した水際対策は世界から称賛された。「国家は生命体」であり、「国の仕事は広義の衛生である」との言葉はコロナ禍の日本に響く。「生を衛(まも)る」大切さを生涯訴えた後藤ならどう考え、動いたか。

 「大風呂敷」と揶揄(やゆ)された壮大な復興計画も、医師だった後藤が安全と清潔を求める公衆衛生の思想から、震災前の原状復帰(復旧)ではなく、抜本的な都市改造として周到に準備したものと考えれば理解できる。

 適切な初動対応や社会機能の維持、住民一人一人の意識と行動の大切さなど、地震と感染症とは共通点が多い。後藤ら先人に学び、明日に備えたい。

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