日々小論

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 米国のマサチューセッツ工科大学にノーム・チョムスキーという94歳の老教授がいる。反戦平和の訴えや手厳しい政治批判で日本でも知られたが、もとは言語学で名を上げた人だ。

 人間は親から習得したり学校などで教わったりした範囲を超えて自由自在に言葉を駆使できる。それはなぜなのか。

 全ての人間には生まれつき「普遍文法」が備わっているとチョムスキーさんは考えた。

 文法とは言葉のルール。共通の文法の仕組みを解き明かせば日本語、英語などの壁を越えられるのではないか。コンピューターに組み込めば、いずれ人間の言葉を操れるだろう-。

 20世紀後半に登場したチョムスキー説は衝撃的で、いろんな期待を抱かせた。

 やがてコンピューター技術が急速に進展し、人間と自然な形で対話する人工知能(AI)が実際に登場した。言語学が探求する普遍文法をAIが見いだしたのだとすれば、人間が先を越されたことにならないか。

 だが、どうもそうではないらしい。AIの言語能力は文章など大量のデータを取り込み、正しい語順や単語の組み合わせなどの集計と分析を積み重ねた結果。データの質と量で変化する可能性もあり、普遍的なルールには程遠いとされている。

 試しにチャットGPTに「平和を願う俳句」を詠んでもらった。「ただ一つ願う(略)愛が芽生えんこと」は、俳句でなく散文詩のよう。少なくとも日本語はまだ学習途上に思える。

 とはいえ、AIの学習量に人間はかなわない。膨大なデータ処理をこなすうちにいずれ「普遍」の域に到達するかもしれない。あるいは「人間の言語はどこまでも多様で個別」との結論に至るだけかもしれないが。

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