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婚約時代に正子に贈った白洲次郎のポートレート(1928年、旧白洲邸 武相荘蔵)
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婚約時代に正子に贈った白洲次郎のポートレート(1928年、旧白洲邸 武相荘蔵)
白洲次郎と正子夫妻(1985年、旧白洲邸 武相荘蔵)
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白洲次郎と正子夫妻(1985年、旧白洲邸 武相荘蔵)
特別展の展示会場を訪れた、白洲次郎の長女桂子さんの夫で旧白洲邸「武相荘」館長の牧山圭男さん=7月15日、神戸市東灘区の神戸ゆかりの美術館
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特別展の展示会場を訪れた、白洲次郎の長女桂子さんの夫で旧白洲邸「武相荘」館長の牧山圭男さん=7月15日、神戸市東灘区の神戸ゆかりの美術館
サンフランシスコ講和条約の受諾演説で吉田茂が読み上げた原稿の複製=神戸市東灘区向洋町中2、神戸ゆかりの美術館
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サンフランシスコ講和条約の受諾演説で吉田茂が読み上げた原稿の複製=神戸市東灘区向洋町中2、神戸ゆかりの美術館
記念館として、白洲次郎と正子夫妻が暮らした邸宅とゆかりの品々が公開されている「武相荘」(武相荘提供)
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記念館として、白洲次郎と正子夫妻が暮らした邸宅とゆかりの品々が公開されている「武相荘」(武相荘提供)

 太平洋戦争の終戦後、吉田茂の側近として連合国軍総司令部(GHQ)との折衝に当たった実業家白洲次郎(1902~85年、芦屋市出身)の生誕120周年記念特別展が、六甲アイランドにある神戸ゆかりの美術館(神戸市東灘区向洋町中2)で開かれている。開幕に合わせて来神した娘婿の牧山圭男さん(83)は、晩年の白洲にその「神戸愛」を垣間見たと振り返る。(井上太郎) 

 ■トイレットペーパー

 白洲家は三田藩九鬼氏に代々使えた家柄で、次郎は貿易商を興して巨万の富を築いた父・文平の次男に生まれた。兵庫県立第一神戸中(現神戸高校)を卒業後、英ケンブリッジ大に留学した。

 日本水産の取締役時代にイギリスを頻繁に訪れ、当時駐英大使だった吉田茂と親交を深めた。終戦直後に外務大臣となった吉田に請われ、「終戦連絡中央事務局」の参与としてGHQとの交渉役を担った。

 特別展には、牧山さんが館長を務める旧白洲邸「武相荘」(東京)の所蔵品201点が並ぶ。その一つに、サンフランシスコ講和条約受諾演説の原稿(複製)がある。

 吉田が英語の原稿を読み上げる予定だったが、2日前になって急きょ、白洲が英文から日本語に改めたとされる。当初触れられていなかった沖縄などの施政権を「一日も早く戻ることを期待する」などと加筆。直径10センチにもなる分厚い巻物風の原稿を吉田が読み上げるので、外国人記者が「あれはトイレットペーパーか」と驚いたとの逸話も残る。

 「相手は占領軍。次郎は常に『いつ殺されるか分からない』という覚悟でGHQとの交渉に臨んでいた」と牧山さん。「『マッカーサーは役者だな』などと語ってはいたが、尊大さはなかった。筋を通す。私利を図らない。弱い立場の人に優しい。武士は食わねど高ようじ、言い換えればやせ我慢の人生を歩んだと思います」

 ■プリンシプル

 それが、牧山さんが見た白洲の「プリンシプル」だったという。

 原理、原則を意味するプリンシプルという言葉を、白洲はよく口にした。白洲は、これからの国際社会を見据え「西洋人と付き合うには、全ての言動にプリンシプルがはっきりしているしていることは絶対に必要である」と語っている。

 貿易庁長官に就任し、1949年に通商産業省(現・経済産業省)を設立。51年には東北電力会長に就任するなど、政財界の第一線で手腕を振るった。

 一方、太平洋戦争前に東京郊外の鶴川村(現町田市)にかやぶきの家を買い、東京で空襲が始まってからはそこに暮らした。「武相荘」は「武蔵と相模の境」にあることと、「無愛想」をもじって白洲が名付けたという。

 田舎暮らしをともにした妻の正子は幼い頃から能をたしなみ、小説家の志賀直哉らに勧められて能の歴史などをまとめた「お能」を出版している。武相荘には室町期の能面が残り、今回の特別展でも紹介されている。

 着物や骨董(こっとう)も愛し、北大路魯山人の文皿や茶わん、黒田辰秋のわんやさじなどを所有。これらはコレクションとして棚にしまっておかず、実際に使った。「それで割れてしまってもしかたない」と、執着はなかった。「派手ではない、質の高い暮らし。そこに2人らしさがにじむ」と牧山さんは言う。

 ■レストランと料亭

 夫妻は一緒に土を耕し、米や野菜を作りながら穏やかに幸せを紡いだ。

 白洲は83歳で、正子は88歳で他界した。晩年、2人は京都へ旅行している。これは後に牧山さんが聞いた話だが、旅先の老舗料亭で白洲が語った「神戸愛」が、不思議な縁でつながったことがあるという。

 「神戸にあるレストランのおばさんがよくかわいがってくれて、大好きな親子丼を食べさせてくれてね」

 「その親切にしてくれた人は名字を『湯木さん』と言って…」と白洲が続けていると、料亭の主人は目を丸くした。「それはうちの創業者の母です」

 白洲はそんな土産話を実にうれしそうに話したという。

 牧山さんは、白洲の人格形成の原点はやはり神戸なのだろう、と感じている。「インターナショナルな雰囲気を持ち、武士のたしなみとジェントルマンシップを併せ持った。次郎の父も米ハーバード大に留学していて、祖父は儒学者でありながらキリスト教に関心を持っていた。日本全体が西洋化していく時代、彼らは常に先見の明を持っていた」と話す。

 白洲次郎生誕120周年記念特別展は9月25日まで。神戸ゆかりの美術館TEL078・858・1520

→「東灘区のページ」(https://www.kobe-np.co.jp/news/higashinada/)

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