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阪神・淡路大震災や備えについて発表する5年生。3年生が活発に手を挙げた=西灘小
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阪神・淡路大震災や備えについて発表する5年生。3年生が活発に手を挙げた=西灘小
浅井鈴子さん(左)を前に、震災学習を振り返る5年生=西灘小
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浅井鈴子さん(左)を前に、震災学習を振り返る5年生=西灘小

 会場に緊張感が漂っていた。2月7日、神戸市立西灘小学校(同市灘区)。校舎4階の教室と多目的ホールで、5年生が「3年生に伝える会」を開いた。

 1班5人ほどの12班に分かれ、これまで学んだアッコちゃん(浅井亜希子さん)のこと、阪神・淡路大震災、地域の備えについて伝える。3年生が各班の前に座り、じっと聞き入った。

 自分たちと同じ西灘小5年生のときに、震災の犠牲になったアッコちゃん。その写真を手にして語る女子児童がいる。

 「どんなことで地震が起こるか。このプレートが動くことで起こります」。日本地図を示し、熱心に語りかける男子児童がいる。

 「帰る途中によく見て、避難ルートを確認してください」。そう呼びかけ、防災マップを指さす児童がいる。

 アッコちゃんの母・浅井鈴子さん(69)、灘南部防災福祉コミュニティの小島實(みのる)会長(74)、授業のきっかけをつくった神戸学院大の舩木(ふなき)伸江教授が見学に訪れた。浅井さんは、各教室をそっと見て回る。

 5年生の1、2組59人が震災学習に臨んだのは昨年11月だった。校門横に立つ「アッコちゃんの時計」を見たのが始まり。映像や絵本を見て、11歳で逝った少女のことを想像した。「生きていたら友達になりたい」。学びながらそう話す児童がいた。

 浅井さんからも直接、当時のことを聞いた。命の重みを教わった。震災や校区の防災を調べる授業では、いつもアッコちゃんのことが頭に浮かんだ。

 3年生への発表を終えた5年生が、多目的ホールに集合した。「ありがとうございました!」。浅井さんに向かって声をそろえ、おじぎをする。

 代表の児童3人が前に出た。「学んだことを、次の世代や知らない人たちに教えてあげたいです」。そう言って、みんなで書いた手紙を手渡した。

 校長室に戻った浅井さんは、児童からの手紙を手に目を細めた。「子どもたちが、あんなに理解してくれたんだと思って。亜希子のことが、私の手を離れて歩いていってる」

 阪神・淡路大震災から28年を経て、つながった記憶のバトン。受け取った子どもたちから、また次へ。継承のリレーが始まる。

=おわり=

<コラム>育まれた「わがこと」感

 阪神・淡路大震災のとき、私は小学6年生だった。兵庫県・淡路島北部に位置する北淡町(現・淡路市)の自宅で寝ていて、目が覚めた2秒後に激しい揺れが始まったことを覚えている。雷のような音、窓が勝手に開いていったこと、自分を呼ぶ父の声…。地震と理解できないまま布団にくるまった。

 神戸市立西灘小学校(同市灘区)5年生だったアッコちゃん(浅井亜希子さん)はこのとき、母鈴子さんと倒壊した建物に生き埋めになっていた。互いに励まし合って数時間を耐え、救出されたが、クラッシュ症候群を発症。地震から24日後に亡くなった。

 アッコちゃんは当時の自分より1学年下。どれだけ苦しく、つらかっただろうと想像する。

 西灘小の現在の5年生にとっては、もっと身近に感じたかもしれない。同じ学校の、同じ学年の少女のこと。両親と兄2人に囲まれ、友だちと遊ぶことを楽しみにしていた、何げない日常が地震で奪われた。震災を体験していなくても、学習を通して災害と備えを「わがこと」と捉えていた。

 防災を学ぶとき、最も大切なのはこの感覚だと思う。震災から28年が過ぎた。西灘小の挑戦が各地に広がることを期待したい。

【バックナンバー】
(11)伝承 自作原稿で下級生に受け継ぐ
(10)先生 それでも子どもたちに伝えたい
(9)1・17 風化防ぐため学び、伝える
(8)発表 防災マップ危険箇所は?
(7)目線 引率は大学生一緒に学ぶ
(6)校区 備えと危険歩いて把握
(5)検索 こんな火事、想像できない
(4) 命  娘の声が聞こえる気がした
(3)朗読 母娘2人でふたつの命支えた
(2)日常 生きてたら、友達になりたい
(1)時計 同じ学校、同い年の子死んじゃった

震災28年U28震災後世代アッコちゃんの授業神戸
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