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永山則夫被告(当時)の精神鑑定をした石川義博さん。今も現役医師で心療内科クリニックを営む=東京都国立市
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永山則夫被告(当時)の精神鑑定をした石川義博さん。今も現役医師で心療内科クリニックを営む=東京都国立市
永山則夫死刑囚の死刑が執行された東京拘置所=東京都葛飾区
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永山則夫死刑囚の死刑が執行された東京拘置所=東京都葛飾区

 東京大医学部を卒業して、英国留学から帰ってきた新進気鋭の精神科医。鑑定したのは、犯行時19歳で4人を射殺したとされる、永山則夫被告(1997年に48歳で死刑執行)だった。その医師、石川義博さん(87)は、後に「永山基準」と呼ばれる死刑選択の基準が示された裁判で、永山被告と向き合い、精神鑑定書を書いた。各地で露呈した事件記録の廃棄にあきれ、「なぜ少年が事件を起こしたのか、鑑定書から学ばないのか」と裁判所の姿勢を問う。

■調書とは違う

 

 八王子医療刑務所(現・東日本成人矯正医療センター)の技官だった石川さんが鑑定依頼を受けたのは、1973年。刑事裁判の一審が開かれていた。

 鑑定期間は異例の278日間に及び、永山被告の声を約50本のテープに録音した。完成した精神鑑定書は全ページ2段組で182ページに及ぶ。永山被告の鑑定は「なぜ、彼が重大犯罪を犯したのか、それを明らかにしたい一心だった」と振り返る。

 しかし裁判で、その鑑定書は証拠採用されなかった。そのため、確定判決に石川鑑定は出てこない。石川さんは「裁判官も検事も弁護士も、自分の考えに合う、都合が良い鑑定書が欲しいのだろう。それに合わなかった私の鑑定書は、完全に無視された」と語った。

 鑑定は、当時一般的だった刑事責任能力の判断に力点を置く方法を採らず、カウンセリングのように永山被告に自由に話させた。石川さんは、詳細な生い立ちはもちろん、両親や祖父母に至るルーツもたどった。その末に、動機にたどりついた手応えを得たという。

 捜査結果は「金欲しさの犯行」のように見えても、石川さんは、親きょうだいからの虐待と孤独が鍵になったと読み解いた。「警察官や検事の調書とはまったく違うんですよ。心が書いてある。心の変遷がね」と話す。

■人間の普遍性 

 捜査資料は事実を知るにはいいが、なぜやったのか、という原因動機に関しては役に立たないと石川さんは主張する。だからこそ、神戸連続児童殺傷事件で、亡き中井久夫・神戸大名誉教授が手がけた「少年A」の精神鑑定書の廃棄を、「家族歴や医学的・精神的な傾向と犯罪との結びつきが分かる記録だったはず」と強く惜しんだ。

 石川さんは「個別の例を深く掘り下げれば、人間の普遍性につながる」と話す。同じような事件が起きたとき、過去の事件の精神鑑定書は、参考になるとして記録の保存を強く訴える。たとえば永山事件からは、母親から虐待を受けた子どもへの影響が理解できるという。「前例から学ぶのは、歴史から学ぶのと同じ」。過去の事件の精神鑑定書を、個人情報に十分配慮して理論化する。石川さんは、そのことが事件の再発防止や加害少年の矯正、治療に役立てられると信じている。(霍見真一郎)

【永山事件と死刑の基準】1968年に東京、京都、函館、名古屋で計4人が犠牲となった連続射殺事件。翌年、当時19歳だった永山則夫容疑者が逮捕された。拘置所で独学し、手記「無知の涙」などを出版。犯行時、未成年だった永山被告への死刑適用は論議を呼んだが、97年に執行された。

 最高裁判決が示した死刑適用の基準は後に「永山基準」と呼ばれた。犯行の罪質や態様(殺害方法の残虐性など)▽結果の重大性(特に殺害された被害者数)▽被告の年齢-などを考慮し、やむを得ない場合に死刑が認められるとした。しかし、事件当時18歳1カ月の少年が罪に問われた山口県光市の母子殺害事件では、2012年に初めて被害者2人で死刑が確定した。

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