今年の「1・17」に、その人はいない。
中井久夫さん。精神科医で神戸大名誉教授。1995年の阪神・淡路大震災では、全国から駆けつけた精神科医とともに傷ついた被災者を支え続けた。「兵庫県こころのケアセンター」(神戸市中央区)の初代センター長も務めた。
昨年8月、肺炎のため、88年の生涯を閉じる。
でも、日々の世界には今も中井さんが教えてくれたことが息づいている。
今月初旬。神戸大学医学部付属病院(同市中央区楠町)を訪ねた。精神科病棟「清明寮」の外庭で、オリーブの木が黒い実を付けていた。
小豆島から苗木が運ばれ、中井さんが成長を喜んだというオリーブ。2階の窓まで届くほど伸び、鳥たちがさえずっている。
1994年に完成した2階建ての清明寮は、教授だった中井さんが細部までこだわった建物だ。
「病棟とその庭は精神科においては唯一で最大の治療用具」。中井さんはそう言って、患者の居心地の良さを大切にした。
当時の精神科病棟で多用されていた鉄格子は使わなかった。大きな窓、明るく広い廊下や病室。光を取り入れる中庭もある。
外庭にはオリーブやクスノキ。春にはサクラやコブシが花をつける。
まず、被災者の傍にいることである 「災害がほんとうに襲った時」(みすず書房)
あの震災。清明寮は、全国からボランティアとして駆けつけた精神科医たちの「基地」になった。そこは指揮所、仮眠室、食堂。彼らは夜は寝袋に潜り込み、朝になると避難所へ。被災者の声に耳を傾け続けた。
「まず、被災者の傍にいることである。それが恐怖と不安と喪失の悲哀とを安心な空気で包むのである」。年長だった中井さんの考えは一貫していた。
以降、災害の被災地に精神科医の姿は珍しくなくなった。いち早く心のケアに取り組む「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」の仕組みもできた。その源流をたどれば、やはり28年前の神戸の活動に行き着く。
だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ 「看護のための精神医学」(医学書院)
中井さんの文章にある。
「『だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気でないのだ』という謙虚さが、病人とともに生きる社会の人間の常識であると思う」
例えば「こころのケアセンター」の相談室。部屋にはいすがあるが、「目線を対等に」という中井さんの考えから、医師用と患者用は全く同じものを使っている。医師のいすには背もたれがあり、患者は簡易ないす-そんな見慣れた風景はここにはない。
相談室の壁も「黄色は落ち着くから」と、ほんのりと黄色い壁紙が選ばれた。患者を見つめる優しいまなざしがそこにある。
もしも、中井さんが神戸にいなかったら-。心のケアは今のように広がっていなかったかもしれない。巡り来る季節に、中井さんが残したメッセージを見つめたい。
【なかい・ひさお】1934年奈良県生まれ。甲南中・高、京都大卒。東京大や名古屋市立大を経て、1980年から神戸大医学部教授。統合失調症研究の第一人者で、「風景構成法」と呼ぶ絵画療法に取り組んだ。文筆家としても多くの業績を残した。阪神・淡路大震災では、いち早く被災者の心のケアの必要性を説いた。97年から神戸大名誉教授、甲南大教授。2004年には「兵庫県こころのケアセンター」の初代センター長に。13年に文化功労者。
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