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大学生と一緒に、公園の防災倉庫を見学する西灘小の5年生ら=神戸市灘区都通3
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大学生と一緒に、公園の防災倉庫を見学する西灘小の5年生ら=神戸市灘区都通3

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災で、神戸市立西灘小学校(同市灘区)5年の浅井亜希子さん=当時(11)=が亡くなった。「アッコちゃん」と呼ばれて慕われた少女のこと、そして震災のこと。同小の5年生たちが授業で学んでいく様子を、シリーズ「震災って何?」で報告します。

 神戸市立西灘小学校(灘区)の5年生が、4~6人ずつ、11班に分かれて校舎の外へ向かう。昨年12月。校区を歩くフィールドワークだ。

 学校の南西にある公園に集まる。防災倉庫の前で、1組の中村功児先生(39)が声をかけた。

 「阪神・淡路大震災のとき、助けを待つだけじゃなくて、近くの人が近くの人を助けて一緒に生きていました。自分たちのまちは、自分たちで守るという考えが広まってきた。防災福祉コミュニティーです」

 倉庫にあるシャベルや発電機、水を入れるタンクを見せ、活動を紹介する。「地震への備えは、まちの中にいっぱいあるんですよ。今日は自分たちで見つけてほしい」。その言葉を合図に、子どもたちはまちの探索を始めた。

 7班は西灘公園や周辺を歩いた。「あっ、消火器」。ガソリンスタンドや国道沿いの建物にある消火器を見つけてタブレットで撮影。地図に青色で印をつける。「備えている」は青色、「少し危険」は黄色、「危険」は赤色だ。

 1時間半ほどかけて、通学路や住宅街をくまなく探した。野口奏斗君(11)は「いつも遊んでいる場所に、消火器や消火栓を見つけた」。相澤莉愛來(りあら)さん(11)は「地域の人たちが頑張って備えてくれてる。でも、地震で細い道のブロック塀が倒れてきたら、はさまれてしまうかも」と話し、危険な場所を確認した。

 この班は22カ所に印をつけた。児童と一緒に歩いたのは、防災を学ぶ神戸学院大生。オレンジ色のジャンパーが目印だ。

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