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夕暮れとともに明かりがついた街灯。菅原商店街の跡に設置されている=神戸市長田区菅原通3、4
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夕暮れとともに明かりがついた街灯。菅原商店街の跡に設置されている=神戸市長田区菅原通3、4
焼け残ったアーケードの解体が進む菅原商店街=1995年3月27日、神戸市長田区
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焼け残ったアーケードの解体が進む菅原商店街=1995年3月27日、神戸市長田区
焼け残ったアーケードの解体が進む菅原商店街=1995年3月27日、神戸市長田区
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焼け残ったアーケードの解体が進む菅原商店街=1995年3月27日、神戸市長田区
焼けただれ、ぼろぼろになった菅原商店街のアーケード=1995年3月8日、神戸市長田区
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焼けただれ、ぼろぼろになった菅原商店街のアーケード=1995年3月8日、神戸市長田区
かつて菅原商店街があった通り=2022年12月、神戸市長田区菅原通3、4
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かつて菅原商店街があった通り=2022年12月、神戸市長田区菅原通3、4

 暮れゆくまちを南北に貫く道路沿いに、いくつもの灯がともった。そこには、阪神・淡路大震災前まで「菅原商店街」があった。商店街を含む周辺の御菅(みすが)地区では、地震の揺れと猛火に見舞われて128人が犠牲になった。

 「震災で全部燃えた。明かりが一つもなくなって。付けてもらった街灯の名残が今の街灯なんよ」。震災前から営業する「戸田酒店」の店主戸田一弘さん(85)が教えてくれた。

 震災から3カ月ほどして、真っ暗な地域を照らす街灯が設置された。区画整理事業を経て、2001年に現在のものに切り替わったという。

 「店も人も焼けてしまった。ここが焼け野原だったなんて想像できないでしょ」

 被災直後に撮影したまちの写真を見せてもらった。アーケードが黒焦げの骨組みだけになっていた。街灯は、アーケードとともに消えた商店街をなぞるように連なり、そこにあった人の営みを伝える。

     ◇

 震災から28年がたつ。被災地に往時をしのばせる風景はいまや少ない。あの時の気配を探した。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

あの時の気配震災28年
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