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地元に開校したサッカースクールのイベントに兄の憂さん(右)と参加した堂安律=5月22日、尼崎市潮江1(撮影・有島弘記)
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地元に開校したサッカースクールのイベントに兄の憂さん(右)と参加した堂安律=5月22日、尼崎市潮江1(撮影・有島弘記)
コスタリカ戦で初先発し、スペイン戦でも活躍が期待される堂安律(左)=11月27日、アルラヤン
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コスタリカ戦で初先発し、スペイン戦でも活躍が期待される堂安律(左)=11月27日、アルラヤン

 サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会1次リーグE組で、日本代表は12月2日午前4時(日本時間)、決勝トーナメント進出を懸けて強豪スペインとの最終戦に挑む。兵庫県尼崎市出身のMF堂安律(24)=フライブルク=にとって、昨夏の東京五輪準決勝で敗れた宿敵だ。「何くそと思わされた相手。借りを返せる最高の舞台」と雪辱を誓う弟に、間近で成長を見てきた次兄の憂さん(26)も期待を寄せる。(山本哲志)

 ■公園で兄に挑んだ1対1が原点

 「やったったぞ!」。大金星を挙げた初戦のドイツ戦で同点ゴールを決めた堂安は、憂さんからの祝福メッセージにそう返信した。

 堂安は2人の兄を追ってサッカーを始め、近くの公園で1対1を何度も挑んだ。憂さんは「年齢の差もあるし、自分が絶対勝っていた。もちろん下手ではなかったけど、決して天才ではなかった」と懐かしむ。

 憂さんもJ3長野パルセイロでプレーした元Jリーガー。プロの厳しさを知るだけに、「大きな夢を掲げながらも、そこに向かう努力を毎日していたからこそ今がある」と断言する。

 ドリブル練習に明け暮れた負けず嫌いの堂安は、地元の浦風FC、西宮サッカースクールを経てガンバ大阪の下部組織で育ち、16歳でJ1デビュー。19歳で海を渡り、日本代表の主力選手へ。家族も驚く高みへと駆け上がった。

 ■「尼崎に恩返しを」スクール開設

 「俺が決める」「優勝を目指さなくてどうする」。強気なビッグマウスが紙面やインターネットをにぎわせるが、周囲が知る素顔は気さくで真っすぐ。海外移籍後は、「育ててくれた尼崎に恩返ししたい」と児童養護施設に机や遊び道具の寄付を続けている。

 堂安は今春、JR尼崎駅前の商業施設屋上にフットサルコートをつくった。「日本に着いた時とヨーロッパに着いた時、飛行機から見えるサッカーグラウンドの数が圧倒的に違う」と感じたのがきっかけだった。

 そのコートを拠点に、堂安や憂さんはサッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB(ネクスト10・フットボール・ラボ)」を開設。東京五輪でエースナンバー「10」を背負った堂安は、「ここから次世代のエースを出したい」と願いを込めたという。スクール代表を務める憂さんは「律は『目の前のことを全力でやらない限り世界で戦えない』とずっと言っていた。毎日の積み重ねが大事だよと、子どもたちにも伝えている」と話す。

 堂安から地元への思いを託された憂さんは、尼崎からエールを送る。「自分は全力で支えて全力で応援するだけ」。スペインを倒し、日本を再び熱くする活躍を願っている。

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