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吉田茂氏の国葬を伝える1967年10月31日の神戸新聞夕刊
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吉田茂氏の国葬を伝える1967年10月31日の神戸新聞夕刊
半旗を掲げて神戸港に入港した英国船(1967年10月31日の神戸新聞夕刊より)
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半旗を掲げて神戸港に入港した英国船(1967年10月31日の神戸新聞夕刊より)
国葬当日、神戸の百貨店で黙とうする店員(1967年11月1日の神戸新聞朝刊より)
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国葬当日、神戸の百貨店で黙とうする店員(1967年11月1日の神戸新聞朝刊より)

 安倍晋三元首相の国葬が27日に迫る。戦後の国葬は1967(昭和42)年の吉田茂元首相以来、2度目。55年前の国葬は兵庫県内の官公庁や学校も「半ドン」となり、半旗掲揚、黙とうなどの光景がみられた。一方、学校では「吉田さんも立派だが、国民の努力も忘れないで」と戦後復興への思いを子どもに語りかける校長もいた。当時の神戸新聞から「あの日」を振り返りたい。

■亡くなった11日後、人気ドラマも中止

 吉田氏の国葬は10月31日の火曜、午後2時から日本武道館(東京)で行われた。亡くなったのは同月20日。わずか11日後だった。

 政府は国葬3日前、「簡素、厳粛」を基調とした段取りをまとめる。武道館では午後2時10分に1分間の黙とう、これと同時に全国各地でサイレンが鳴らされ、全国民への黙とうを呼びかけることにした。

 当日は官公庁、学校を午前中までとし、民放各局は共同制作で国葬の模様を一斉中継。娯楽番組はなくなり、当時人気だった海外ドラマ「奥さまは魔女」も休止になった。哀悼一色の編成に民放労連は「政府の圧力による言論統制だ」と反対声明を出す。

 公営競馬、競輪なども中止になった。

■神戸港では哀悼の汽笛

 兵庫県内の様子はどうだったか。本紙は「“国葬半ドン”町の表情」「お役所では節酒令」などの見出しで伝えている。神戸のデパートでは、午後2時10分に店員が黙とうした。

 神戸港では入港していた大型船60隻が、デッキやメーンマストに日の丸の半旗を掲揚。英豪華客船は観光船につきもののブラスバンド演奏、花束贈呈が中止になった。国葬の始まる午後2時に合わせ、哀悼の汽笛も聞かれたが、いつもとは違うミナトの光景に「きょうは何の日ですか」と尋ねる人もいたという。

 兵庫県庁や神戸市は窓口業務などを除いて午後は半休となったが、県庁は連絡員を置くなどし、記事によれば「サービス低下のそしりを受けないよう気を配っていた」。警察を含め、飲酒などで羽目を外さないよう職員に対して呼びかけがあった。

■当日の社説には

 学校も午前中まで。「思わぬ休みに児童、生徒たちは大喜び」。国葬を前に子どもたちに説明した校長の言葉が記事中にある。

 「吉田さんは戦後の混乱した時代に国を立ち直らせた立派な人ですが、国民の努力も忘れてはいけません。吉田さんの功績といっしょにお父さんやお母さんの苦労も考えましょう」

 敗戦から22年。戦争はもちろん、終戦後の苦しかった体験の記憶が多くの人の胸にまだ刻み込まれていた時代だった。

 国葬当日の神戸新聞の社説は国葬への反対意見があったことを踏まえ、「実質は“政府葬”に近いもの」だと指摘。吉田氏の業績の大きさを認めつつ、その業績が国家、国民に利益をもたらしたかどうかを評価するのは「時期が早過ぎるのではないか」と書いている。(岸本達也)

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