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山下彩花ちゃんらが相次いで襲われた事件を伝える神戸新聞朝刊の紙面(1997年3月17日付)
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山下彩花ちゃんらが相次いで襲われた事件を伝える神戸新聞朝刊の紙面(1997年3月17日付)

 現在は「神戸連続児童殺傷事件」という呼称が定着している。だが「少年A」の調べが進むまで、1997年3月に起きた連続通り魔事件と、5月の小6男児殺害事件は「別筋」として捉える向きがあった。

異なる凶器

 「連続通り魔」とは、3月16日の昼、小学4年生の山下彩花ちゃん=当時(10)=が神戸市須磨区の住宅街で、金づちで頭を殴られた後に死亡し、約150メートル離れた場所で約10分後、当時小学3年生だった女児が刃物で刺されて重傷を負った事件を指す。

 その後、5月27日に小学6年生の土師淳君=当時(11)=の損壊された遺体が見つかると、淳君事件が連日報道された。狭い地域で連続した両事件の糸は明瞭にはつながらず、捜査は混迷した。同じ地域でさらに前の2月、女児2人が頭をショックレスハンマーで殴られ1人が負傷した事件は報道さえされなかった。

 そんな中、神戸地検で一連の事件の主任検事を命じられた男性(69)=現在は弁護士=は、上司の指示で抱えていた一般事件を全て手放し、この3事件の捜査に集中した。

 彩花ちゃんの死因は、解剖によると当初「バット状の物で殴られたのではないか」とみられていました。一方、その直後に女児が刺された事件の凶器は刃物だった。時間や場所からみて同一犯である可能性が高いのに、なぜ凶器が違うのだろう、と。「殺傷」が目的なら、同じ凶器で襲った方が自然です。ただ、刺された方の女児は犯人の顔を見ていました。男性アイドルグループの一人に似ていると言っていましたね。

20代の男性

 バットを隠し持ちながら、刃物で刺すことはできない。そこで、通り魔事件が起こった二つの現場の間に住居がある可能性を視野に、聞き込み捜査をした。浮上してきたのが、付近に住む20代後半の男性だった。

 男性側はアリバイを主張していましたが、身長や髪形などが極めて目撃証言に近かったんです。そこで4月に任意で取り調べを実施しました。兵庫県警で一番調べがうまい捜査官を当てて「勘」を取ってもらいました。すると、心証(容疑の確証)が得られないという報告でした。逮捕を断念し、帰しました。男性からバットの任意提出も受け鑑定しましたが、容疑を裏付ける結果は出ませんでした。別人を逮捕しかけていたんです。していれば、誤認逮捕でした。

 そして、淳君事件が起こる。遺棄現場には「さあゲームの始まりです」などと無差別殺人をほのめかす紙片が残されていた。地域は恐怖に包まれ、報道は過熱。解決を求め、捜査に対する視線は厳しさを増した。

 連続通り魔事件も淳君事件も、須磨署の5階に捜査本部が並んでありました。僕は毎日両方の部屋を訪ねましたが、淳君事件の方に意識が行っていましたね。淳君が殺害された「タンク山」を実際に歩いて実況見分調書を作ったり、自宅からの所要時間を計ったりしました。検察官が捜査の現場に入るのは異例です。

 一方、兵庫県警の捜査本部は、主任検事に秘密にしていることがあった。実は当時、すでに「少年A」を追い始めていた。

(霍見真一郎)

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成人未満成人未満 第2部 検事が見た「少年A」
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