太平洋戦争末期の1945年、沖縄県の官選知事を務めた島田叡が当時の熊本県知事に宛てた手紙を、沖縄県元副知事の嘉数昇明さん(80)=那覇市=が保管していたことが分かった。手紙は沖縄戦直前にしたためられたもので、県民の疎開を受け入れてくれたことに感謝する内容。当時の県公文書の多くは戦火で焼失するか、占領軍に接収されるかしており、現存は極めて珍しい。関係者は「住民の生命を重視した島田知事の考え方を知る資料」と評価している。(津谷治英)
嘉数さんは42年、那覇市で生まれ、幼少の頃は疎開先の大分県竹田町(現・竹田市)で過ごした。父の昇さんは沖縄県会議員を務め、島田知事の行政を支えていた。曽我梶松・熊本県知事宛ての手紙は、嘉数さんが父の遺品を整理していて見つけた。
手紙では、疎開者の受け入れに対し〈御厚配と御指導を辱(かたじけな)ふ致候〉と丁寧な文で感謝の意を伝える。また、〈今後も便船毎に引揚者の送出を續(続)行致度存念に有之候〉と疎開を続ける方針であることなどがつづられ、末尾には〈昭和二十年二月二十八日 沖縄縣知事島田叡 熊本縣知事殿〉と添えられている。
昇さんは44年に家族が疎開してからも沖縄に残っていたが、米軍が上陸する直前、島田知事から九州出張の指示を受けた。熊本、宮崎、大分県への疎開者の調査、保護をするように求められたほか、島田知事からの手紙を託されたという。45年3月上旬に九州へ渡り各県を回った後、大分県で家族と合流し、戦後まで過ごした。
沖縄戦は20万人以上の犠牲者を出して終結。熊本県知事は島田知事が殉職したことを察し、いったん受け取った手紙を昇さんに返却した。以降、昇さんの手元で保管されていた。
嘉数さんは「九州にあったことで戦禍を免れた。文面からは、島田さんが県民の疎開後の生活も心配していたことが分かる。私もその恩恵を受けた一人です」と語る。
遺品からは昇さんが戦後、九州各県の疎開者の窮状を調べ、連合国に提出した報告書も見つかった。「父は生前、ほとんど島田さんのことを話さなかった。でもその意志をしっかり引き継いだことが分かった」
昇さんは74年に72歳で逝去。嘉数さんは戦後、父の意志を引き継ぐように、九州3県との交流を続け、感謝の宴などを企画してきた。また「島田叡氏事跡顕彰期成会」の会長として追悼を続ける。島田知事を描いた映画「島守の塔」では製作委員会委員長を務めている。
嘉数さんは「私が手紙を見つけたのは、父から島田さんの追悼を託されたのだと思っている。これからも業績を後世に伝えていきたい」と話している。
◇
島田叡らを描いた映画「島守の塔」(神戸新聞社など製作)は、兵庫県では今月5日からキノシネマ神戸国際、MOVIXあまがさき、同6日から元町映画館などで上映予定。
【沖縄県平和祈念資料館・仲程勝哉学芸員の話】戦時体制下における沖縄県政を知る資料は、宮古、八重山など離島支庁に残存した一部を除いて、ほどんど戦禍で消失している。今回の手紙は沖縄県から県外疎開が行われたことや、当時の沖縄県と熊本県の関係性を知る上でとても貴重な資料と言える。
【島田叡(しまだ・あきら)】1901年、神戸市須磨区生まれ。旧制神戸二中(現兵庫高)卒業後、三高を経て東京帝国大(現東京大)へ入学。旧内務省に入省し、各地の警察部長、大阪府内政部長などを歴任。45年1月、最後の官選知事として沖縄へ赴任。6月末に消息を絶った。
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