母は最期の時、私の服を着てくれていました-。大阪府泉南市の会社員山神啓子さん(53)は、母の小林芙紗代(ふさよ)さん=当時(56)=を失った。神戸市中央区で新聞配達中、倒壊した民家の下敷きになり、猛火に襲われた。体は損傷が激しかったが、啓子さんのお下がりを着ていたことで、身元が判明。啓子さんは「とても仲良しで何でも話せた。一日たりともお母さんを忘れたことはない」と胸を詰まらせる。
芙紗代さんは、父正雄さん(85)と神戸市中央区で新聞販売店を営み、啓子さんと兄を育てた。朝夕刊の配達、事務作業で働きづめでも、疲れを見せず、家事は完璧だった。
あの日、啓子さんは大阪市内の団地で、大きな揺れを感じた。テレビが映し出したのは、神戸の惨状。電話がつながらず、タクシーで実家に向かうが、がれきに遮られ、兵庫県尼崎市までしか進めなかった。
自宅に自転車を取りに戻り、途中で公衆電話から実家に連絡がついた。電話の先は、めったに出ない父。「お母さんが帰ってこない」といい、胸騒ぎだけが募った。必死で自転車をこぎ、神戸に向かう。阪神高速道路が倒れている。街は跡形もない。夜になってようやく実家にたどり着いた。
父は無事だったが、母の姿はない。数日後、実家のすぐ近くで、民家の焼け跡から母が見つかった。トレーナーとマフラーは端切れだけだったが、確かに啓子さんのお下がりだった。
家族に止められ、遺体を見ていない。だから、脳裏の母は笑顔のままだ。母は下敷きになった時、生きていたと近所の人に聞いた。助けられなかった後悔と、恐怖心から震災経験にふたをした。だが、長女陽菜(ひな)さん(21)が中学生になったころ、「震災のこと、おばあちゃんのこと教えてよ」と言われ、少しずつ語るようになった。
震災の2日前、「風邪ひかんように」と電話で気遣ってくれた母。新婚だった啓子さんに、「孫の顔が見たい」とも言っていた。孫を抱いてほしかった。子育ての相談をしたかった…。
悲しみの日から27年。気持ちの整理が、完全についたわけではない。啓子さんは、陽菜さんとともに神戸・三宮の東遊園地で母の銘板と向き合った。「孫はこんなに大きくなってんで。見届けてや」。陽菜さんも「大切なおばあちゃん。幸せだよ」と語り掛けた。(藤井伸哉)
【特集ページ】阪神・淡路大震災
-
神戸
-
神戸
-
教育
-
地方行政
-
-
東播三田北播丹波
-
阪神
-
阪神
-
-
未来を変える
-
但馬
-
阪神
-
姫路
-
-
-
失われた事件記録
-
神戸社会連載まとめ読み
-
教育
-
-
ウクライナ侵攻
-
スポーツ神戸#インスタ
-
地方行政
-
山口組分裂騒動
-
-
教育神戸
-
-
新型コロナ
-
-
神戸教育
-
-
神戸社会連載まとめ読み
-
神戸三宮再整備スクープラボ
-
但馬
-
但馬
-
姫路地方行政
-
教育姫路
-
西播姫路文化
-
地方行政
-
但馬防災
-
神戸
-
地方行政神戸
-
地方行政
-
選挙
-
神戸
-
西播選挙
-
神戸山口組分裂騒動
-
神戸
-
-
文化
-
-
東播
-
神戸
-
スポーツサッカー
-
但馬
-
但馬
-
-
但馬
-
明石
-
阪神
-
神戸
-
姫路#インスタ
-
-
阪神
-
阪神
-
医療生老病支
-
選挙
-
選挙
-
神戸
-
-
-
神戸
-
姫路
-
姫路
-
医療
-
姫路医療
-
西播神戸
-
神戸
-
スポーツ阪神
-
姫路
-
-
社会連載まとめ読み
-
阪神
-
地方行政新型コロナ
-
神戸防災
-
神戸文化
-
医療
-
阪神
-
スポーツヴィッセル
-
阪神
-
神戸
-
神戸
-
神戸
-
神戸
-
神戸
-
神戸
-
教育
-
-
社会連載まとめ読み
-
姫路選挙
-
医療