• 印刷
土石流が襲った状況を説明する太田滋さん。斜面には民家が立ち並んでいた=静岡県熱海市の伊豆山地区
拡大
土石流が襲った状況を説明する太田滋さん。斜面には民家が立ち並んでいた=静岡県熱海市の伊豆山地区
阪神・淡路大震災で地滑りが起き34人が犠牲になった現場=1995年1月17日、西宮市仁川百合野町
拡大
阪神・淡路大震災で地滑りが起き34人が犠牲になった現場=1995年1月17日、西宮市仁川百合野町
神戸新聞NEXT
拡大
神戸新聞NEXT

■牙むく土砂「阪神・淡路と同じ」

 沢筋にあったであろう家並みは、跡形なく消え去っていた。昨年7月、大規模な土石流災害に見舞われた静岡県熱海市の伊豆山地区。年末、取材に訪れた私たちは、立ち入り禁止のロープの外で立ち尽くした。

 記憶に鮮烈なのは、土石流が建物をなぎ倒しながら、怒濤(どとう)のごとく斜面をなだれ落ちる瞬間の映像だ。かろうじて残った赤い建物の奥に、土石流が流れた痕跡が見える。基礎だけになった空き地の傍らで、壁が泥だらけになったり、大破したりした家が並ぶ。

 被災者の一人に会った。自宅が全壊した太田滋さん(65)。家族は無事だったが、同級生が犠牲になったという。「大切にしていた自宅と一緒に地域のつながりや連携も奪われ、人生を否定されたようだ」と話す。

 海から山頂に向けて急斜面を蛇行する道路。山肌に立つ民家。熱海の地形は神戸・阪神間に似ている。27年前の阪神・淡路大震災でも、兵庫県西宮市仁川百合野町で起きた地滑りが住宅地をのみ込み、34人の命が奪われた。

 ともに、人工の盛り土が自然災害を引き金に地滑りを起こした「人災」とも指摘される。27年前の教訓は生かされず、熱海では26人が死亡、1人が行方不明のままだ。

     ◆

 7月3日午前10時半前後、太田さんは上流部での土石流発生を知らせる防災無線を聞いた直後、自宅脇を流れる幅2メートルほどの逢初(あいぞめ)川を見た。3日前から雨が降り続いていたにもかかわらず、水がない。

 「危ない」。高台の公民館に家族4人で逃げた。土石流は見ていない。後ろを振り返るとのみ込まれるような気がしたからだ。音すら記憶にない。2階建ての自宅は1階が大量の土砂に埋もれた。対岸の家は形すらなかった。

 気象庁によると、7月3日までの48時間雨量は計320ミリと記録的で、逢初川上流部の盛り土を起点に斜面が崩れた。午前10時半ごろから次々と発生した土石流は砂防ダムを乗り越え、民家など約130棟をのみ込んで約2キロ先の伊豆山港まで猛スピードで下った。

 太田さんは「熱海市盛り土流出事故被害者の会」副会長として、盛り土所有者らの責任追及を続ける。27年前の仁川百合野町の災害については「知らなかった」と話した。

     ◆

 熱海から帰った後、私たちは仁川百合野町を訪れた。地滑りを起こした斜面は格子状のコンクリートで固められ、被災の状況を伝える資料館がたたずむ。

 当時を知る住民の大野七郎さん(76)と現場付近を歩いた。震災後、斜面には土砂をせき止めるくいが打ち込まれ、地滑りの原因になる地下水の排水管が整えられた。それでも「管の詰まりはないか」「激甚化する水害に耐えられるのか」と不安は尽きなかった。

 そんな中、大野さんは熱海の土石流災害の現場をテレビで見た。「阪神・淡路と同じじゃないか」。胸が詰まるとともに、あの日のつらい記憶が脳裏によみがえった。

     ◇     ◇

 熱海の土石流は盛り土に起因する土砂災害としては、阪神・淡路での仁川百合野町以来の最悪の規模となった。27年前の教訓はなぜ伝わらなかったのか。盛り土の危険はどこにあるのか。二つの被災地を歩いた。(藤井伸哉、堀内達成)

【特集ページ】阪神・淡路大震災

震災27年阪神防災盛り土
もっと見る
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ