太平洋戦争中、子どもたちは「少国民」と呼ばれ、食料生産など戦争のために働きました。兵庫県明石市の藤田悦子さん(86)もその一人。本紙に寄せてくれた手記のタイトルは「子供達も頑張ったんだ」です。筆圧の強いしっかりした文字に、「伝えたい」との思いがにじみます。(小野萌海)
1941年12月8日、太平洋戦争が始まった。藤田さんは7歳だった。
「この戦争に勝って、外国へ行って私は日本人だと大手を振って歩けるようにしましょうね」
学校の先生は、率先して大人の手伝いやお使いをする子が「いい子」だと教えた。
お寺で騒いでいると、住職は「それでも日本の子どもか」とすごい形相で怒った。
運動場は大豆畑に変わった。子どもの仕事は、肥料の材料になる草を田んぼのあぜで刈り、道に落ちている馬や牛のふんを拾い集めること。農繁期には苗代の害虫取りや稲刈りも手伝った。
教室の窓にガラスはなく、張ってある紙のすき間から冬は冷たい風が吹き込んだ。
◆
45年になると、たびたび警戒警報や空襲警報が鳴った。両手で目と耳を押さえ、田んぼや溝に倒れ込むよう教えられた。白い服は目立つ。周囲の人は草や石のような色に染めていた。
初夏。空襲はひどくなり、姉が避難した明石公園にも爆弾が落とされた。
「抱きしめたい」との一心で姉を捜しに飛び出した母は、姉の無事を知らせてくれた知人を神様のように思ったという。後日、市街地の民家にも無差別に焼夷(しょうい)弾が落とされた。藤田さんたちは真っ赤に染まる空を高台の家から眺めた。
「明石の街が燃えよるなあ」。家族の誰かが、諦めたようにつぶやいた。
◆
藤田さんが暮らしていた明石郡魚住村(現在の明石市魚住町)周辺は空襲を受けることなく終戦の日を迎えた。
「日本負けてんで」と姉に告げられ、キツネにつままれたような気持ちになった。「頑張りましょう勝つまでは」と言われ続けていたから、戦争は勝つまでは続くのだと信じていた。
「やれやれ、やっと終わった」と感じた。
◆
76年の月日が流れた。
「戦時中のことを思えばまだましやで」。新型コロナ禍で帰郷できない孫に電話で戦争の話をしても、分かってもらえるはずもない。さびしいが、それでも伝えたいと思う。
「食べるものも着るものもなく、爆弾が落ちてくる日々を、当時の子どもたちは一生懸命生きた。同じ思いを今の子や孫にはしてほしくない」と藤田さんは話す。
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