広島から8千キロほど離れたイラク北部、クルド自治区の都市ハラブジャ。そこに「ヒロシマ」という名の通りがあると、イラクの知人が教えてくれた。フセイン政権下の1988年3月16日、イラク軍は、サリン、タブンなど数種類の毒ガスが混じった爆弾でハラブジャを攻撃した。死者5千人、負傷者は1万人とされ、がんや死産の増加、精神的トラウマなど、化学兵器による被害は今も続く。ハラブジャの人々はヒロシマに己の悲劇を重ね、再び繰り返してはならないと訴えてきた。
ヒロシマは、破壊と大量死のイメージと結びつけられるだけでなく、平和のシンボルとしても広く知られる。その地で先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれた。岸田文雄首相は「平和と繁栄を守り抜く決意」の表明に最もふさわしい場だと、広島開催にこだわったという。
重要課題の一つ、核軍縮に関する声明が「広島ビジョン」だ。広島の名を借りて「核兵器のない世界の実現」を目標に掲げたが、ロシア、中国、北朝鮮を名指しで非難する一方で、米英仏の核軍縮に向けた具体策は示されなかった。それどころか、核抑止力に基づく安全保障政策の継続をうたっている。
■相いれない「力による平和」
サミット前日の日米首脳会談で、バイデン米大統領と岸田首相は、日本の防衛力強化と米国の核を含む拡大抑止力が、日本の安全と地域の平和と安定の確保に不可欠だと再確認した。
核抑止とは、核による報復の脅しで相手に攻撃を思いとどまらせることを意味するが、核による壊滅的結末を認識するからこそ成り立つものだ。その効力を維持するには、単なる脅しと思われないよう核攻撃を行う意思、能力、体制が必要になる。ヒロシマ・ナガサキを恐怖のイメージと結びつけ、核が使用できる状態を保つことが安全と平和の維持に貢献する。これが核抑止力を柱とする安全保障が意味することなのだ。
対して、被爆者をはじめ核の被害者たちは、核兵器の存在そのものが人類の安全と生存を脅かすと訴えてきた。ウラン採掘に始まり、核兵器の製造過程や実験によって、核保有国とその旧植民地の住民、特に各地の先住民らが深刻な放射線被害を受けている。
「広島ビジョン」は、被害者の「受け容(い)れがたい苦痛」を明記した核兵器禁止条約には一言も触れず、核兵器の存在と効力を肯定した。被害者の苦しみを否認するもので広島を名乗るに値しない。
もう一つの重要課題、ウクライナに関する首脳声明は、ウクライナに「包括的、公正かつ永続的な平和」をもたらすため最大限努力することを「『平和の象徴』である広島」から誓うという。しかし、広島と「力による平和」を結びつけたその内容は、ヒロシマの精神とは相いれない。
ロシア軍の完全かつ無条件の撤退とウクライナの領土奪還なくして「公正な平和」はないとの立場から、声明は「必要とされる限り」ウクライナを支援するという。完全勝利を収めるまで支援して「公正な平和」を実現するということだろう。事実、バイデン大統領は、それまで難色を示していたF16戦闘機供与について、欧州の第三国が行うことを容認した。広島の地において、戦闘を継続し、攻撃力を強化する軍事支援が打ち出されたのだ。
ロシアのウクライナ侵攻は糾弾されてしかるべきだ。しかし、かつて「第三世界」と呼ばれたグローバルサウスの少なからぬ人びとは、冷ややかに見ているだろう。
声明はロシアの「違法な侵略行為」を非難し、戦争犯罪や残虐行為の不処罰は容認しないと断じる。だが米国は、ベトナム戦争、パナマ侵攻、イラク戦争などグローバルサウスの各地で国際法に反する「軍事作戦」を展開してきた。声明は、ロシアの違法行為を追及するうえで、戦争犯罪や人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所(ICC)への支援を確認したが、米国はICCに加盟していない。
「脆弱(ぜいじゃく)な国への支援」も偽善的に映る。ロシアの侵攻が「世界の最も脆弱な人々」をさらなる食料危機に陥れたと非難し、当該国の支援を約束している。ではアフリカ東部などの国々が弱い立場に置かれ、食料危機の影響を受けやすいのはなぜなのか。植民地主義、開発主義、気候変動など、肥沃(ひよく)だった土地が干ばつに襲われ、飢えに苦しむ人々が生み出されるに至った歴史的、構造的要因。それに対する先進国の歴史的責任に目を閉ざしたままロシアを批判するだけでは、グローバルサウスの人々には響かないだろう。
どんな大義があろうとも核兵器と戦争を容認しない。それがヒロシマの精神だ。これまでも小国が核大国に侵略されたとき、ヒロシマを代弁する私たちは、武力による反撃を支持してはこなかった。それは、徹底した平和主義の信念に基づくものだったのか、あるいは無関心からだったのか。
ハラブジャをはじめ、ヒロシマに思いを寄せるグローバルサウスの人々を苦しめる不正義。それに立ち向かう平和のシンボルになろうとするのか。それとも「厳しい安全保障環境」を理由に、サミットが示す「平和」のシンボルに成り下がるのか。ヒロシマを掲げて平和を訴える私たちに、重い問いが突きつけられている。
(なおの・あきこ=京都大人文科学研究所教授)
