針路21

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 子どもが戦争を起こすわけではない。しかし、戦争で一番傷つくのは子どもたちだ。

 国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」によると、2020年、紛争地域で暮らす子どもは4億5200万人だった。世界の子どもの6人に1人の割合だ。子どもにとって最も危険な国はアフガニスタンで、コンゴ共和国、シリアと続く。戦闘の激しさに加え、子どもの殺害と傷害行為、軍への誘拐と利用、性的暴力など、国連の定める「武力紛争下における六つの重大な権利侵害」を受けた子どもが多い。

 21年にはエチオピアやミャンマーなどが新たな暴力の波にのまれ、重大な権利侵害を被った子どもの数は、国連が確認できただけでも、過去最多となった。ロシアのウクライナ侵攻で、今年さらに増えるのは間違いない。

 これまでにウクライナの子どもの3分の2が家を追われ、うち220万人が国外に避難した。しかし国境を越え戦火を逃れても、人身売買や略奪、性的被害のリスクにさらされている。戒厳令により、18~60歳のウクライナ人男性は原則、国外移動を禁止され、父親や成人男性の親族が付き添えなくなったからだ。

■孤児らの傷を背負わぬ日本

 日本でも、アジア太平洋戦争下、危険の迫る都市部から子どもたちが避難した。ただし、ウクライナと違い、学童期の子どもたちは母親からも引き離され、集団での疎開を強いられた。

 学童疎開は、空襲による都市の被害を減らすための防空策として推し進められた。そもそも「疎開」は、敵の砲弾による損害を少なくするために、部隊を分散配置することを指す軍隊用語である。教育学者の逸見勝亮が明らかにしたように、学童疎開は「子どもたちの戦闘配置」だったのだ。

 敵機の攻撃に対する防衛態勢を整えるため、1937年に防空法が制定され、消防や灯火管制などの防空活動に国民が動員されることになった。日米開戦直前の41年11月、法改正が行われ、応急防火義務と退去禁止の規定が加わった。空襲の際、国民は消火活動に従事しなければならず、防空活動に参加できない「老幼病者」を除いて事前に避難することは許されなかった。「国土防衛の戦士」である国民には、命を賭して防空に従事することが求められたのだ。

 ガダルカナル島からの撤退やアッツ島の守備隊全滅など、日本軍の劣勢が明らかとなった43年半ばには、国内防衛態勢の強化策として、人口の地方分散計画が浮上した。同年10月には防空法が再び改正され、「老幼病者」らに対して、内務大臣が退去を命じることができるようになった。

 弱者保護のためにではない。防空の「足手まとい」になる者を地方にやることで、防空態勢を強化しようとしたのだ。

 国民学校初等科(小学校)3年生以上の児童を集団で疎開させると決まったのは、米軍がB29で空爆を開始した直後の44年6月末のことだ。縁故疎開が原則だったが、疎開先がなく残留する子どもが多かったために、学校単位で地方に疎開させることになったのだ。

 強制ではなかったが、法的根拠のないままに集団疎開は強力に推奨された。子どもの命を守るためと言われても、幼いわが子を教師に託して見知らぬ土地に送り出すことに、逡巡(しゅんじゅん)する親は少なくなかった。親の心情を見越してか、政府や学校関係者は、「皇国を継ぐ若木の生命」を保護し、「空襲への防備態勢を完成するため」と、集団疎開の国家的意義を強調し、国民としての義務感に訴えた。

 集団疎開が子どもを守るためであったならば、手がかかり集団生活に馴染(なじ)まないからと、1、2年生や病弱な児童を除外することはなかっただろう。学童疎開は国土防衛策だったのであり、子どもの保護は二の次だった。

 子どもたちが地方へと旅立った後、東京をはじめ、日本各地の大都市、そして地方都市が米軍の無差別爆撃に焼かれ、50万もの民間人が犠牲となった。疎開先で親の迎えを待ち侘(わ)びながら再会を果たすことのなかった子どもが、どれほど多くいただろうか。空襲で親を失った戦災孤児の数は、48年に厚生省が調査したところ2万8248人だったが、ここに米軍占領下の沖縄の子どもや「浮浪児」らは含まれていない。

 家を焼かれ、親を亡くし、路頭に迷うことになった子どもたちは浮浪児となり、保護という名の「狩り込み」によって劣悪な施設に収容された。親戚に引き取られた孤児も、温かい家庭生活を送ったとは限らない。邪魔者扱いされながら召使いとして酷使され、耐えかねて家を飛び出した者もいる。

 敗戦後、国策によって生じた戦災孤児の実態を、政府は解明することなく、戦争被害者として援護することもなかった。戦後60年を経て、孤児を含む空襲被害者が国に謝罪と償いを求めて裁判を起こしたが、敗訴となった。その後、超党派の議員連盟が救済法案をまとめたが、国会提出にさえ至っておらず、孤児は救済の対象外だ。77年もの間、子どもたちに戦争の傷を背負わせたまま、また夏が過ぎようとしている。

(なおの・あきこ=京都大人文科学研究所准教授、歴史社会学)

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