コロナ禍に見舞われてから間もなく丸3年。もう、うんざりだが、私たちの暮らしが多くの見知らぬ人に支えられていることを実感できたのはよかったと思う。
この気づきから、感染拡大のなかでも社会の維持に尽くしてくれた、医療、福祉、保育、小売業や運輸・物流、公共サービスなどの現場で働く人たちを、敬意をこめて「エッセンシャル・ワーカー」と呼ぶようになった。
しかし、「ステイ・ホーム」下の生活を支えた無償のケア労働を「エッセンシャル・ワーク」と評価するのを耳にしたことはない。育児や介護といったケアの責任を家族が負うこと、女性が家族をケアすることが当然視されているからだろう。
血縁からなる家族がケアに責任を持つ単位となり、母親が育児を一手に引き受けるようになったのは「近代家族」が誕生してからで、高度経済成長を経て一般化した。だが、稼ぎ手の夫と家事育児を担う妻からなる家族は、もはや標準ではない。
2000年代に入ると、専業主婦は少数派となり、いまでは18歳未満の子のいる母親の76%が仕事に就いている。
■人を育み社会を維持するには
保育園が整備され、育児はある程度社会化されたが、相変わらず女性がケア責任を負っている。コロナ禍のテレワークで若干増えたとはいえ、男性の家事育児時間は女性の4分の1に過ぎず、他の先進国に比べて家庭でのケア労働が女性に偏る傾向は際だっている。
コロナ禍以前のデータだが、2016年総務省調査によると、共働き世帯の妻の家事育児時間が週全体平均で4時間18分に対して夫は39分、仕事の時間と合わせると、夫が8時間49分、妻は9時間14分という結果であった。有償労働を終えても、母親には無償のケア労働が待ち受けているのだ。
時間だけではない。育児には、ものすごいパワーがいる。こちらがどんなに疲れていても、そんなことはお構いなしに「いっしょに遊ぼう」「絵本読んで」と、小さな怪獣は次々と要求を出してくる。「お休みの日にね」「お風呂に入ってからね」と交渉を試みるも、聞く耳を持たない手ごわい相手なのだ。日中一緒にいられなかったのだからと、できる限り応じているうちに、疲労はどんどんたまっていく。子育てで負担に感じることを調査すると、出費の多さに続いて、母親たちは、自由な時間のなさ、身体の疲れと精神的疲れを同じ割合で挙げている。自由になる時間がないことで、自分のケアは後回しになるのだ。
もちろん子育てはただつらいだけではない。なんといっても子どもはかわいいし、何事にも代えがたい喜びがある。保育園にお迎えに行き、駆け寄るわが子を抱きしめる。それは至福の時である。だが余韻に浸る間もなく、帰宅後の段取りをシミュレーションしつつ、園庭で遊びたがるのをなだめすかして家路を急ぐのが常なのだ。
子育てに要する労力を思うと、たった一人で担うには無理がある。だが、育児が家族責任とされ、性別役割分業を当然視するジェンダー規範がいまだに強いこともあり、日本の母親は「ワンオペ育児」に陥りがちだ。夫婦で協力したとしても、ケア責任を負わない健康な成人男性の物差しで成り立つ多くの職場では、長時間労働が求められ、子どもと向き合う時間も余力もわずかしか残らない。とても「あともう一人」とは思えないだろう。
今年の出生数は77万人ほどになるらしい。統計を取り始めた1899年以降、最も少ない数だ。少子化の背景には雇用と経済の問題もあるが、身銭と心身をすり減らさずとも子育てできる社会にならない限り、解決しないだろう。日本が子どもを産み育てやすい国だと思わない人は、この15年で50%から61%に増えている。
全世代型社会保障構築会議は16日、岸田文雄首相に提出した報告書で、少子化を「国の存続そのものに関わる問題」と位置づけ、危機感をあらわにした。未就園児の一時保育事業の拡大や児童手当の拡充、育休給付の対象拡大などを早急に具体化すべき政策として提言したが、問題は財源の確保だ。岸田政権は子ども関連予算の倍増を打ち出したが、実現への道筋は不透明なままだ。防衛費に関しては、5年後の倍増を念頭に、来年度予算で1兆4千億円もの増額を即座に決めたのと対照的だ。
安心して子育てできる社会の実現に向けた政策は、子を持つ親への支援策とみなされ、広く世論の支持を集めるには至っていない。特に、子どものいない人には、負担が増えるだけで割に合わないと感じられるのだろう。しかし、子どもが育つための支援は、将来の社会の担い手の育成に資するのだから、子どものいない人も中長期的には受益者になれる。
私たちはみな、かつて子どもだったのであり、心を配り世話をしてくれる誰かがいたから、いまここにいる。全ての人が、ケアの恩恵を受けてきたのだ。ならば、特定の人たちにケアを背負わせるのではなく、社会全体でケア責任を引き受けても良いのではないだろうか。人を育むケア労働は尊く、社会を維持していくために必要不可欠なのである。
(なおの・あきこ=京都大人文科学研究所准教授、歴史社会学)
