針路21

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 瓦礫(がれき)と化した街、避難所で身を寄せ合う人々。ロシア軍がウクライナ侵攻を始めてからひと月になる。被災体験のある私たちは想像する。あの揺れがひと月続いたとしたら。救援の手が届かず、水も食糧も尽きてしまったら。そして怒りが込み上げてくる。これは災害ではない。意図的に作り出されたものなのだと。

 戦火を逃れ国外に避難した人はこれまでに360万人を超えた。そこには180万人以上の子どもが含まれる。たどり着いた避難先も安全とは限らない。親とはぐれたり、施設から保護者の同伴なく逃げてきたりした子どもには、危険が迫っている。善意を装って子どもに近づき、人身売買をもくろむ輩(やから)がいるというのだ。国連児童基金(ユニセフ)と国連難民高等弁務官事務所は、受け入れ各国に対して、保護者の下にない子どもの身元確認と登録を入国後、直ちに行うよう求めた。

 危機に乗じた国内の動きとして見逃せないのが、にわかに浮上した「核共有」論である。安倍晋三元首相ら自民党の一部議員や日本維新の会は、日本も米国との「核共有」について議論すべきだと主張する。北大西洋条約機構(NATO)の核共有協定が念頭にあるらしい。

■被害国が加害国になるとき

 米国は欧州とアジアの同盟国に対して、核による拡大抑止を提供している。日本では「核の傘」と呼ばれることが多いが、要するに、核報復の脅しでもって自国だけでなく同盟国への攻撃を思いとどまらせることを言う。核同盟である北大西洋条約機構(NATO)は、米の核抑止力を集団防衛の要とし、核運用の責任とリスクを共有している。

 NATOは核保有3カ国を含む30カ国からなるが、非核保有国も共同で核を運用する。ドイツなど5カ国に米の核爆弾が配備され、フランス以外の加盟国で構成された「核計画グループ」が核戦略を検討する。ただし、核使用の最終決定権を握るのは米大統領だ。実際に核攻撃を行うとなれば、核が配備された国の戦闘機に核爆弾を搭載して出撃となる。つまり、核爆弾は米国のものだが、それを投下する任務を担うのは核が配備された国の軍隊なのだ。加えて、加盟国は通常戦力で核爆弾搭載機を援護することになっている。

 NATO加盟国は核抑止に伴うリスクも共有する。米国は核の拡大抑止を提供することで、欧州有事の際、核攻撃を受けるリスクを負う。仮想敵(ロシア、冷戦期はソ連)が米本土を戦略核で応酬すると予測されるからだ。そのリスクを冒してまで、米国は核による報復に出るだろうか。同盟国は不安を抱くことになる。

 しかし、報復の約束が信頼できなければ、敵が欧州侵攻の賭けに出る可能性を高め、欧州各国を核武装へと向かわせる。敵からの攻撃をけん制し、核拡散を防ぐには、拡大核抑止の信頼性を高めなければならず、米が欧州に配備した核を共同運用することが、信頼性向上に資すると考えられてきた。それは同時に、欧州が核の戦場となるリスクに晒(さら)されることを意味する。こうして米欧間でリスクが共有されるというわけだ。

 仮に日本がNATO式の核共有を導入した場合、米国の核が国内に配備され、日米合同で核戦略を練り、自衛隊と米軍が核攻撃の合同訓練を行うことになる。核共有を支持する人は日本の防衛力強化のためと言うだろう。だが、核を置くことは、日本が先制攻撃を受けるリスクを高める。さらに有事の際には、自衛隊が核爆弾を投下する任務を担うことになる。

 日本は核の被害国から加害国になるのだ。想像してみてほしい。合同訓練の光景を。核使用の結末を。核兵器が人間に何をもたらすのか。私たちは、被爆者に教えられてきたではないか。地上にいる者はもちろんのこと、それを使う者も人間でなくなることを。

 容赦なく市民を殺りくするロシア軍の暴挙が許し難いのは言うまでもない。しかも、プーチン大統領は核戦力部隊に「特別の臨戦態勢」を命じ、核使用も辞さない強硬姿勢をみせている。仮にNATOとロシア軍が衝突した場合、核戦争が勃発(ぼっぱつ)する可能性は低くはない。人類の生殺与奪の権を数人の権力者が握っていることに、改めて戦慄(せんりつ)を覚える。

 ロシアが仕掛けた戦争は、世界を再び軍拡へ向かわせつつある。ドイツはこれまでの方針を転換し、国防費を大幅に増額するという。国内に配備する核爆弾を搭載する最新鋭戦闘機の購入も決定した。NATOの核抑止力を強化するためだろう。核への依存は仮想敵国間の相互不信を高め、軍拡競争を加速させる。核武装をもくろむ国も増えるだろう。

 パンデミックに襲われた2020年の軍事費は、世界全体で217兆円にも上る。これだけの予算が医療や福祉に投じられていたら、どれだけの命が救えただろう。互いを敵とみなして殺し合いに備えるのではなく、全ての人が尊厳を持って生きられるように国家予算を割り当てるべきではないか。理想論かもしれないが、長い目で見れば、その方が安全保障に寄与する。恐怖心に駆られて軍拡競争に走ることは、命と暮らしを守るための資金を奪う一方で、一握りの人間に莫大(ばくだい)な富をもたらすことも忘れないでおこう。

(なおの・あきこ=京都大人文科学研究所准教授、歴史社会学)

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