地球温暖化の影響もあって、雨の降り方が変化し、記録的な豪雨災害が相次ぐ状況にある。その一方で、新型コロナに代表される強力な感染症が、世界中にまん延している。加えて、南海トラフ沖地震のような巨大地震の発生も、間近に迫っている。
災害が巨大化し、頻発化し、多様化し、複合化し、長期化する「災害の時代」を迎えている。寺田寅彦の言葉を借りるまでもなく、最近の自然の凶暴化と社会の脆弱(ぜいじゃく)化の中で、災害はダイナミックに進化し、不幸なことに災害の時代に突入してしまった。
ところで、災害が進化すると、防災も進化しなければならない。新しい災害に向き合うために、それに見合う新しい防災がいる、災害の時代を抜け出すために、旧弊にとらわれない新たな挑戦がいる。
だが、私たちは、この時代が求めている防災の進化をはかろうとしているだろうか。
法制も見ても、災害救助法や災害対策基本法という、過去の比較的平和な時代につくられた基本システムから、脱し切れていない。コミュニティーの防災を見ても、隣組時代の型にはまった防災から、脱し切れていない。
■地縁型から橋渡し型に変質を
今一度、私たちを取り巻く災害の動向が、いかなる進化を求めているかを考えてみよう。
結論から言うと、災害の巨大化は連携協働を、多様化は公衆衛生と個別対応を、長期化は生活復興を求めている。
災害の巨大化は、それに立ち向かう人間や組織が大きくなること、そのために力を合わせることを求めている。多様な担い手が協働して、その力を合わせて総力戦を挑むことが、大規模な災害に向き合ううえで欠かせない。
災害の多様化は、社会の基盤や体質を根底から強くすることを求めている。薬漬け的な対症療法ではなく、体質そのものの抜本改善を求めているのだ。健康のための公衆衛生が求められるように、防災のための公衆衛生が求められ、SDGsが提唱している貧困や差別といった災害の背後要因を正すことが求められている。
災害の多様化に対しては、被災の多様化も進んでいる。被災者が多様化しているためである。外国人も、アレルギー体質の子供もいる。経済格差も地域格差も進んでいる。その中で取り組まれる減災や復興は、個々の状況に細やかに向き合うことが避けられない。被災者それぞれに寄り添う、個別支援計画やケースマネジメントが求められるゆえんである。
長期化は、間接被害の軽減に傾注することや生活再建に力を入れることを求めている。時間とともに変化する苦しみの「時間積分値」をいかに緩和するかが問われている。生命だけでなく生活やなりわいの確保に努めることが求められている。ここでは、人権を大切にする視点、人間復興という視点も大切になる。
こうした新たな防災へのニーズは、課題を包括的に捉えること、態勢を横断的に組み立てること、活動を日常的に進めることを、歴史の必然として要請している。
ニーズに応えるうえで、地域密着型の防災、持続的で日常的な「コミュニティー防災」の重要性が高まっている。そのために、防災の視点でコミュニティーのあり方を見直すことが避けられない。
ソフトウエアやヒューマンウエアを重視する防災に切り替えること、環境や福祉、さらには教育との融合を図る防災に切り替えること、公衆衛生として生活スタイルや社会文化の改変を図る防災に切り替えることが欠かせない。
新たな防災では、住んでいる人だけによる防災ではなく、地域に関わり合いのあるすべての人による防災に切り替えることが、求められている。運命共同体的な地域固着の過去のコミュニティーに執着していては駄目である。
学校や事業所、防災士やケースワーカー、市民団体やNPOなどを取り込んだ、協働型のコミュニティーに転換しなければならない。地縁型あるいはボンド(結束)型と言われる旧来型のコミュニティーから、機能型あるいはブリッジ(橋渡し)型と言われる近未来型に変質しなければならない。
それぞれの得意技を持ち寄って、足し算あるいは掛け算の形で、コミュニティー防災力の向上を量的にも高めるようにしなければならない。多様なつながりで日常的かつ多角的に助け合うという、新しいコミュニティー防災が求められている。
そこでは、コミュニティー主導のボトムアップ型の地区防災計画の取り組みを進めること、「みんなで」「近くに」避難する新たな避難システムの構築を図ること、ライフスタイルの改善につながる持続的な防災を進めること、高齢化したコミュニティーでも生き生きとした防災を展開することが、可能になる。
小学校と地域コミュニティーが一体となった防災、事業所が積極的に参加する防災、世代や職種を超えてつながる防災を、つくりだしていきたい。
(むろさき・よしてる=CODE海外災害援助市民センター代表)
