針路21

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 12月11日は被爆者運動史に残る「怒りの日」だ。被爆者だけでなく、空襲被害者ら民間人の戦争被害者が踏みつけられた日でもある。

 ちょうど40年前の1980年12月11日、原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)の答申が示された。被爆者団体は直ちに「おそるべき戦争肯定の論理」だと抗議した。なぜなのか。

 答申の2年前、最高裁は「戦争という国の行為によって」原爆被害がもたらされたと国の責任を認め、被爆者援護を国家補償として位置づけた。被爆者対策を社会保障制度として説明してきた政府は、対応を余儀なくされ、基本懇が設置されることになったのだ。

 ところが基本懇は、被爆者対策の目的は被爆者の福祉の増進であるという政府見解を追認した。そもそも、戦争という国の存亡をかけた非常事態のもとでは、生命、身体、財産などの被害を余儀なくされたとしても、それは全ての国民が等しく受忍(我慢)すべき犠牲なのであって、国は被害を補償する法的義務を負わないというのだ。

 この「戦争被害受忍論」に対して、被爆者は「原爆被害は受忍できない」と激しく憤ったのである。

■国の補償を否定する流れに

 戦争被害の受忍論は、被爆者だけでなく、空襲被害者やシベリア抑留者など、アジア太平洋戦争における「日本国民」の被害者に対して、国家補償を否定する論理として用いられてきた。国民に受忍を説くだけでなく、大日本帝国の旧植民地出身者に対しても、戦争中は「日本国民」だったという理由で適用されてきた。

 始まりは、1968年の最高裁判決にある。在外財産が賠償の一部として処理されたことに対する補償の是非が争われた訴訟である。最高裁は、「生命・身体・財産の犠牲」を含む戦争被害は、国民が等しく耐え忍ばなければならない「やむを得ない犠牲」なのだから、戦争損害の一種である在外財産損失も補償の対象ではないと断じた。

 管見の限り、当時、この判決が批判された形跡はない。判決の前年には引き揚げ者団体の圧力に譲歩する形で引揚者特別給付金支給が決まっており、そうした政府、自民党の対応に批判が高まっていた。だから「補償義務なし」という結論は肯定的に受けとめられたのだろう。

 訴訟のなかで国側は、国民全体が生命や身体も含む被害を受けたなか「在外財産損失のみを特別に補償することは、公平さに欠け、国民の理解を得ることはできない」と論じていた。本来、身体や生命の損害まで受忍すべき、という主張ではなかったのである。

 ところが、最高裁が「在外財産損失も他の戦争被害と同様に受忍しなければならない」と断じたことで、身体や生命の被害を含む戦争被害全般を、国家による補償の対象外とする、法的な論理が立ち上がることになったのだ。

 総力戦では国民全体に何らかの被害が生じる。敗戦国である以上、自国の被害を政府が十全に補償するのは不可能だから、ある程度の被害は、誰もが耐え忍ばざるを得ない側面はあるだろう。

 しかし、現在の受忍論は、国家が引き起こした戦争による被害であるにもかかわらず、国が負うべき被害への補償責任そのものを否定しているのである。

 実際には、全ての国民が同じように被害の受忍を強いられてきたわけではない。戦争被害に対する援護措置によって、受忍の度合いを低くすることは可能であったし、政府も特定の被害者たちに対してはそうしてきた。

 例えば、講和条約が発効した直後から現在までで、旧軍人軍属とその遺族に対する援護と補償の総額は約60兆円に上る。それに比べて、空襲や沖縄戦の民間人被害者には一切の補償がない。

 21世紀に入ってから空襲被害者たちは国の補償を求める裁判闘争を起こした。しかし、ここでも受忍論の厚い壁が立ちはだかり、裁判は原告敗訴となった。

 一方で、東京地裁は国会の立法措置を促している。先の臨時国会で超党派の議員らが民間戦災被害者救済法の成立を目指したが、与党内の了承が得られず、法案提出は見送られることになった。

 いま、存命する被害者のほとんどが、当時は戦争に何ら責めを負わぬ子どもだった。腕や脚を失ったり、親を亡くして孤児となったりしても、苦しみを耐え忍ぶよう強いられ続けてきた。それが「やむを得ない犠牲」であると誰が言えるのだろうか。

 私たちはいま非常事態を生きている。しかし、全ての人が同じように追い詰められているわけではない。むしろ、危機をてこに莫大(ばくだい)な富を手にした者もいる。みんな大変なのだから我慢しようと要請するだけでは、すでに底に沈みつつある人が助けを求める声を封殺しかねない。

 コロナ禍での苦しみは、国が引き起こしたわけではないかもしれないが、政策の如何(いかん)によっては、非常事態下だけでなく、非常事態を抜け出た後も、特定の人びとが受忍を強いられ続ける結果となりうる。危機それ自体が棄民を生み出すわけではないことを、受忍論の歴史は教えているのだから。(なおの・あきこ=京都大人文科学研究所准教授・歴史社会学)

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