都知事が外出自粛を要請した3月最後の日曜、東京に雪が降った。毎度、交通機関に大混乱をもたらす雪だが、今回ばかりは天恵と思えた。映画でしか知らない戒厳令下のように町は静かだった。
私たちは今、歴史から学んだ知恵と経験とさまざまなネットワークを駆使し、100年に一度ともいわれる地球規模の困難に対処している。時々刻々と事態が変化するため、誰もがそれぞれの場所で複雑な連立方程式を次から次へと解かねばならない状態だろう。
地震や台風と異なり、感染症に対しては他県や諸外国から大勢のボランティアが駆けつけるわけにはいかない。最前線に立つ専門家以外にできることは限られる。各国首脳が一様に「家にいなさい」と呼びかけるのは、自分(自国)を守ることがみんな(世界)を守ることにつながるからである。
こんなときに自分たちのリーダーが何を言うのか、息を潜めて見守っている人々の不安をわが国の首相はあまり想像できないらしい。この期に及んで、演台のプロンプターに示された官僚作成の原稿を読み上げるだけの姿には大いに落胆した。今、自分の言葉で話さずしていつ話すのだろうか。
■難局を共に乗り越えるには
神戸大名誉教授で精神科医の中井久夫さんが随筆集『清陰星雨(せいいんせいう)』に書いていたエピソードを思い出す。欧米人に「日本の政治家がほどほどであるのになぜ日本はもっているのか」と問われ、「無名の人がえらいからだ」というと納得する、という一節だ。
阪神・淡路大震災のときも、東日本大震災と福島第1原発事故のときも、今この瞬間に自分に何ができるかを考え、臨機応変に対応した多くの無名の人々がいたからこそ、日本は絶体絶命の危機を脱することができた。
今回もさまざまな動きがある。マスク不足を受け、高齢者や子どものために手作りマスクを寄付した中学生がいる。多くの方が動画投稿サイトに作り方を公開していて、私自身もどなたかのアイデアを参考に作らせてもらった。
21世紀ならではの取り組みも光る。世界保健機関(WHO)の新型コロナウイルスに関する報告書の日本語版がないという発言が国会であった翌日、いち早く翻訳してインターネットで公開した人がいる。聞けば、機械翻訳を利用して日本語にしたあと確認を行い、公開後に指摘があれば随時修正していく方法をとっているらしい。
東京都の感染者の最新動向を示すサイトをめぐる動きも面白い。開発した東京都がソースコードと呼ばれるプログラム言語の文字列を公開したところ、各県の有志が次々と手を挙げて同じデザインのサイトを立ち上げた。
群馬県と三重県の感染動向を示すサイトは地元の高専生が作成したものだ。担当者が使いやすく、インフラのコストも最小限に抑えられて運用しやすい。こうした取り組みはもっと広がればいい。
中井氏の随筆はしかし、このあと「無名の人までが酔った時が危機」と続き、具体例として、マスコミにあおられた日露戦争直後の日比谷焼き打ち事件や日中戦争のスローガン「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」(暴虐な中国を苦しめよ)、子どもの本の軍国主義化などを挙げる。
今はそんなことはありえないといえるだろうか。感染した人や集団、もしくは国に対して負の烙印(らくいん)を押すことが何をもたらすのか。過去にエイズや新型インフルエンザで国内初の感染者を出してパニックとなった神戸はもちろん、国のハンセン病政策の過ちを知る私たちは十分理解しているはずだ。
ウイルスは、人間も動物も分け隔てなく感染する。幸運にして自分は今のところ感染を免れているにすぎないという認識がなければ、この難局を共に乗り越えることはできないだろう。
私はこの間、中国人の友人から一斉封鎖の様子を聞いてきた。町は地域ブロックごとに封鎖され、向かいの道を渡ることさえできない。買い物ができるのは1世帯1人だけ。身分証をもって代表者登録をし、通行証と引き換えに限られた時間で済まさねばならない。
水際作戦にも驚かされた。感染拡大が進む国から帰った人は、健康でもパスポートに黄色シールが貼られて隔離される。2週間後に健康が確認されれば家に帰れるが、事前に家のある地域ブロックの人々に顔写真入りで渡航履歴などの個人情報が公開されてしまうのだ。
自宅でも隔離は続き、毎日決められたSNS(会員制交流サイト)で担当者に健康状態を報告しなければならない。さらに2週間後に健康が確認されて初めてシールは緑色となる。つまり、感染の疑いが晴れるまで1カ月、どんなに元気でもすべての行動をリアルタイムで監視されるわけだ。
中国のこのシステムはさらに進化し、関係が深い国々に輸出されていくという。
強圧的な監視システムは民主国家にはそぐわない。だが、私たちが自律的に行動できなければ、「生命保護」を名目に人権は大きく制限されることになるだろう。
もし人間がさらに知的な生命体の家畜だったなら、今ごろは全頭処分されていたはずだ。地球の支配者として振る舞ってきた私たちの新しい生き方が問われている。(さいしょう・はづき=ノンフィクションライター)
