世界的な自転車競技大会として知られるツール・ド・フランスで7連覇を成し遂げた米国のランス・アームストロング選手が、2012年、ドーピングの罪によって自転車競技界を永久追放されたことはスポーツ界とファンに大きな衝撃を与えた。
アマチュアの大会に出場したことがある私自身、当時は海外のレースがどれも疑わしく思えて、しばらくテレビ観戦から遠ざかった。
米国の映画監督ブライアン・フォーゲルも事件に落胆した一人だったという。ただ、ハイレベルのアマチュア選手である彼はそれで終わらなかった。何百回と検査をしてもドーピングを見抜けなかったWADA(世界反ドーピング機構)の検査に疑問をもち、わざとドーピングをして大会に出て発覚するかどうか、その過程をドキュメンタリー映画にして薬物検査の無意味さを告発しようとしたのだ。
フォーゲル監督は、ロシアのドーピング検査機関の所長グリゴリー・ロドチェンコフ博士を紹介され、彼のもとでドーピングを管理されることになる。博士は米国で研究していたこともあり、2人はすぐに意気投合した。
■傲慢な統制は国家を揺るがす
半年後の2014年12月、事態は急変する。ロシアのオリンピック選手が自国の国家ぐるみのドーピングを告発した番組がドイツの公共放送で放映され、ソチ五輪のドーピング検査官だったロドチェンコフ博士がWADAの調査対象になったのだ。
間もなく2人の同僚が不審死を遂げ、博士は「私もいつ暗殺されるかわからない」とおびえる。フォーゲル監督は急遽(きゅうきょ)、撮影の目的を変更し、内部告発者としての博士へのインタビューを開始した。
博士の証言はまずニューヨークタイムズ紙に掲載され、世界中を驚かせた。その後、ロシアと五輪との関係がどうなったかは周知の通りである。
17年に完成したこの映画「イカロス」は第90回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞。博士は米国へ亡命し、今も証人として米国司法省の保護下にある。
今年2月24日にロシアがウクライナに侵攻した直後、ロシアの科学者が政府に対する抗議声明を発表したが、この映画を見れば、彼らがいかに自国の厳しい統制のもとで生きてきたかがよくわかる。
プーチン大統領は内部告発のあった翌15年の大統領令で、科学者への統制をさらに強化した。論文を科学誌に投稿する際、事前に情報機関に提出して承認を得なければならないと命じたのだ。核兵器や生物化学兵器に関わる軍事分野は以前から許可が必要だったが、全分野に拡大されたのである。
ロシアの科学研究の動向について調査した国立研究開発法人科学技術振興機構・津田憂子氏の「ロシアの科学技術情勢」(16年11月)によると、研究開発費はソ連崩壊後の混乱で半減し、海外への頭脳流出が続いた。07年にようやくソ連時代の予算を超えたが、リーマン・ショックや資源価格の暴落で経済は再び低迷し、研究の中核を担う40~50代が国外流出、科学者の高齢化が加速しているという。
経済協力開発機構(OECD)の20年のデータによれば、ロシアの研究開発費は米国の約15分の1、中国の約10分の1、日本やドイツの3分の1程度で、国内総生産(GDP)比も韓国の4分の1以下だ。
この影響をもっとも受けてきたのが医学や生命科学などのライフサイエンス分野で、ノウハウを伝授する世代の不足もあって研究レベルは低水準である。
基幹産業が石油・ガス、宇宙開発や軍事技術である限り、国家への依存度が高くなるのはやむを得ないとしても、生命に真摯(しんし)に向き合う必要がある医学や生命科学を軽んじ、若い人材を育ててこなかったことは国民の科学観に少なからず影響を与えているはずだ。
ロシアには苦い過去がある。1930年代、メンデル遺伝学を否定した生物学者ルイセンコがスターリンら指導者のもと彼の学説を否定する科学者を追放・処刑し、世界中から非難された事件だ。国が科学を政治利用し、科学者をコントロールできると考える傲慢(ごうまん)は必ずや国家の基盤を揺るがす。
20年前、ドイツで開催された再生医療の学会を取材した際の光景が忘れられない。最前線のテーマでもあり、研究発表後は活発に質疑応答が行われていたが、ロシアのチームに対しては質問が一つも出ず、終了後も彼らだけが会場で孤立していた。私が見ても、研究レベルの差は明らかで気の毒なほどだった。ソ連崩壊後、彼らが置かれた研究環境を思えばやむを得なかったろう。
そして今、気候変動研究で知られる北東科学基地など、西側諸国の資金提供を受けてきた研究機関への資金が凍結され、共同研究が途絶、科学者の国外流出が続く。
国家が学問の自由を奪えばどうなるのか。ロドチェンコフ博士は「ロシアは悪の帝国だ」といい、命を賭して祖国を告発した。「流出」した彼らにしか国を変えることはできないだろう。目の前の変化から目をそらさぬようにしたい。
(さいしょう・はづき=ノンフィクションライター)
