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共生の大地へ 没後1年・内橋克人の歩いた道

(9)民主主義をあきらめない 状況に強い危機感最期まで

2022.09.23
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若き日の内橋克人さん。神戸新聞記者時代にたたき込まれた「記者三訓」を胸に取材に飛び回り、数々の著書を出した(提供)

若き日の内橋克人さん。神戸新聞記者時代にたたき込まれた「記者三訓」を胸に取材に飛び回り、数々の著書を出した(提供)

 神戸市須磨区で生まれ育った内橋克人さんは海が好きだった。約30年暮らし、終(つい)の棲家(すみか)となった神奈川県鎌倉市の自宅。海が見たくなると由比ケ浜海岸まで歩いた。

 その鎌倉で作家井上ひさしさん、精神科医なだいなださんと連名で呼びかけ人となり、2005(平成17)年に「鎌倉・九条の会」ができた。その後、10年に井上さん、13年、なださんが亡くなった。発足10年を記念した15年5月の会で内橋さんは話した。「大切なお二人の姿はすでになく、悲しく、寂しく、私は立ちすくむ思いでここにいます」

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