共生の大地へ 没後1年・内橋克人の歩いた道
(1)荒野渺茫(びょうぼう) 筆一本、真っすぐに生きた
今しがたまで内橋克人さんが机に向かって執筆に打ち込んでいたかのようだ。神奈川県鎌倉市の自宅書斎。膨大な書籍と資料が並ぶ。机上にはNHKのラジオ用原稿。蛍光ペンで線を引き、補足が書き込まれている。最後のメッセージとなった2021年8月1日放送「脱炭素社会-日本の針路を考える」だ。
急性心筋梗塞で救急搬送されたのは3日後の4日。自身は帰宅できるつもりだったというが、次第に容体は悪化し、9月1日午後4時37分、亡くなった。享年89。それから1年。妻泰子さん(85)は話した。「真っすぐに前を向いて走る人でしたね。本当に横向かないです。真面目に真っすぐ行く人でした…」
1932(昭和7)年、神戸市須磨区生まれ。12歳のとき神戸空襲を経験。神戸商科大(現兵庫県立大)を卒業した57年、神戸新聞に入り、経済記者として歩みだした。以来64年、筆一本で駆け抜けた。
「最初の7年間だけは神戸新聞にいたが、その後はいかなる組織にも属さずやってきた。いま何が始まっているのか、それが未来を明るくするいい芽なのか、逆にこれは危ないぞということなのか。この識別を他の人より相当早く、ある種のにおいで感じ取ることができるようになった」
国家や経済の大義が個人を脅かしてはならない。現場を歩きながら人間が主人公の「共生経済」を説き続けた。信念の原点となったのが大切な人の命が奪われた神戸空襲であり、その半世紀後の阪神・淡路大震災だった。
書斎のデスクトップパソコンの後ろに止まったままの掛け時計が横たえてある。針が指し示すのは大震災発生時刻の5時46分。あの瞬間、浮かび上がった社会の断面。「平常時には深い地底にもぐったまま、滅多(めった)なことで人の目に触れることのない真の『断層』の姿に違いない」
戦争と震災の体験を二重写しにした自伝的作品「荒野渺茫(びょうぼう)」(2013年)でつづった。「いま、『暗い時代』への予感は的中し、一度は地に埋めたはずの『戦中・戦前なるもの』が新たな装いを凝らしてむくむくと立ち上がり、荒い呼吸で四囲(しい)を封じ込める」
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■本質見抜いた洞察力
内橋克人さんなら、いま同時代にどんなメッセージを発しただろう。収束が見通せないパンデミック(世界的大流行)、迫りくる気候崩壊、ロシアのウクライナ侵攻で戦争も現実となった。国内では安倍晋三元首相の銃撃事件が起きた。揺れる世情にあって目指すべき社会の姿はますます不透明になっている。
■危険な予兆
「時代状況としてとらえる目が必要」が持論だった。歴史の証言として「昭和恐慌」を意識していた。1978年の「ドキュメント恐慌」。失業、生活困難、自殺…。「追いつめられるごく普通の生活者の姿は、あの『昭和恐慌』の時代を彷彿(ほうふつ)とさせる」。社会不安の中、濱口雄幸、井上準之助、団琢磨らを襲ったテロとなり、戦争と軍国主義への道に至った。「暗い時代の危険な予兆。恐慌が高じて戦争に至る」と評論家の佐高信さん(77)との対談で語った。
終生、権力におもねらず、市井の人々の目線で現状を分析し、警鐘を鳴らした。「市場と権力」「資本主義と闘った男」を書いたジャーナリスト佐々木実さん(56)は「経済ジャーナリズムでは経営者目線や当局目線になり、ビジネス情報の領域で処理されることが多い。社会的な視点に立って経済を語る人は極めて稀(まれ)で内橋さんはその極めて稀な先達(せんだつ)だった」。
時代を見抜く慧眼(けいがん)と洞察力。出世作となった「匠(たくみ)の時代」(78年~80年代)では人と技術の接点領域に光を当てた。一世を風靡したNHK番組「プロジェクトX」より20年以上前のアプローチだった。
■規制緩和万能論の虚妄
90年代、バブル経済が崩壊した後、規制緩和万能論が声高に叫ばれた。労働法制など各分野で市場原理を働かせればイノベーション(技術革新)が起き、安定した経済成長が実現できる。そうした言説に対し、95年の「規制緩和という悪夢」で米国航空業界の実情を調べ、安全性が損なわれるなどの問題点を告発した。「企業行動の規制を外していくのですから、市民社会としては抵抗の術がなくなる。こうしたリスクがあることを、われわれは肝に銘ずるべきです」
「例外なき規制緩和」は何をもたらしたか。非正規雇用は働く人の4割近くになり、格差拡大を招いた。大規模店舗の相次ぐ進出で地域の商店街や市場ではシャッター通りが増え、疲弊の中にある。
現実の経済社会と切り結びながら、持論の「生きる・働く・暮らす」が地域で響き合う未来を見通していた。「尊敬おく能(あた)わざる企業」「共生の大地」「もうひとつの日本は可能だ」「始まっている未来」…。題名から内橋ロマンが立ち上ってくる。
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9月1日で没後1年になる。戒名は「志峯院厳岳良克居士」。高い志を胸に厳しい峯(みね)を目指した生涯。神戸を起点に戦後社会の渺茫たる荒野を歩き、共生への希望を説き続けた一人のジャーナリストの軌跡を言葉と作品でつづる。(加藤正文)
【内橋克人】(うちはし・かつと、1932~2021年)神戸市生まれ。神戸商科大(現兵庫県立大)卒。神戸新聞経済部記者を経て独立。著書多数。神戸新聞客員論説委員も務めた。
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