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共生の大地へ 没後1年・内橋克人の歩いた道

(4)大震災復興への警鐘 欠けていた「都市政策」

2022.09.07
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阪神・淡路大震災から半年。講演する内橋克人さん。再生の行方を終生見続けた。「被災弱者の救済のあり方、人権意識、都市復興の進め方、全てが生身の人間を取り巻く現実となる」=1995年7月、神戸市中央区

阪神・淡路大震災から半年。講演する内橋克人さん。再生の行方を終生見続けた。「被災弱者の救済のあり方、人権意識、都市復興の進め方、全てが生身の人間を取り巻く現実となる」=1995年7月、神戸市中央区

 「叫び声も上げず、悲鳴もなく、恨みの言葉も吐かず、人も、大気も、故郷の街の全てが沈黙の闇に沈み始めている。被災地で目にしたものは、倒壊寸前、老醜をさらす実家だけではなかった」

 1995年1月20日。内橋克人さんは羽田空港から開港間もない関西空港に飛び、空港から船で神戸・ポートアイランドを経てようやく被災地にたどり着く。発生から3日。国道に連なる車列は「遺体搬送中」「救援物資運搬中」。前後で立ち往生する救急車、消防車。倒壊した阪神高速道路の橋脚が見える。

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