ひょうご経済プラスTOP 連載一覧 コラム けいざいeyes ビジネスマン必読! 指揮者の組織論 (17)「わたしのかわりはいるのだろうか」と美空ひばりに聞いてみたら?

ビジネスマン必読! 指揮者の組織論

(17)「わたしのかわりはいるのだろうか」と美空ひばりに聞いてみたら?

2019.07.17
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 クラシック音楽の世界では、特に歴史に名を残している作曲家の作品の場合、すべての演奏者に音楽上の意味が与えられています。たとえば、前面に立って活躍する1番奏者に対して、2番クラリネットは目立ちません。しかし、彼が小さくて美しい音を添えてくれないと、1番奏者のメロディーの音がホールの後方まで響かないのです。また、たとえばドミソの和音を美しく響かせるためには、ミの音を演奏する人(多くの場合は2番奏者です)がドやソの人よりもずっと小さく、しかも音程を少し高めに演奏しないと、和音がきれいに響きません。そもそも、和音を決めているのはミの音を演奏している2番奏者なのです。ドとソだけでは長調のドミソなのか短調のドミ♭ソなのかわからないですよね。このように、2番奏者はまさに縁の下を支える職人的存在です。この意味で、オーケストラには不要な人はおらず、全員が大切な存在で「かわりはいない」わけです。

 けれども一方で、職場で仕事に失敗したりすると、「君のかわりはいくらでもいる」などと言って叱責されるという話を聞くことがあります(パワハラ?)。それほど厳しい言葉でなくても、それらしき意味の言葉を投げかけられると、気分的に滅入ってしまいますね。オーケストラでは、誰かのかわりに音を変えて演奏する、などということはあり得ません。ひとりひとりが自分の存在にプライドをもち、存在意義を明確に認識しています。その職場では本当にかわりがいくらでもいるのかどうかはわかりませんが、自分の仕事にプライドをもち、存在意義を明確に認識した仕事っぷりが求められているのかもしれません。わたしは本来、いてもいなくてもよい人など、ひとりもいないと思っています。

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