ビジネスマン必読! 指揮者の組織論
(14)「つもり」のはなし
音楽には、mp(メゾピアノ=やや小さく)とかmf(メゾフォルテ=やや大きく)、cresciendo(クレシェンド=だんだん大きく)、diminuendo(ディミヌエンド=だんだん小さく)などの記号があります。たくさんの記号があるように思われるかもしれませんが、作曲家の立場に立ってみると、自分の頭の中で鳴っている音楽を忠実に五線譜上に書いていくためには、これでは全然足りません。「やや小さく」とは、具体的にどの程度小さいのかは、考えてみるとなかなか難しい話です。「背がやや高い」なんて言われても、何だかよくわかりませんよね。いったい作曲家は、どの程度の音量を念頭に置いてmpと書いたのだろうか、と考えなければならないわけです。つまり、楽譜に書いてある記号は、作曲家が求めている最低限の要求なのですが、それさえも実はよく考えて演奏しないといけないわけです。演奏者は、楽譜から作曲家の考えを細かく読みとって演奏に反映させる必要があるわけです。楽譜から推測した結果は演奏者それぞれに異なるので、ひとつの方向性をもって統一させる役割を担うのが指揮者というわけです。かつてのカリスマ指揮者の時代ならいざ知らず、現代は指揮者と演奏者が互いに議論をしながら音楽をまとめ上げていくので、演奏とは議論による共同作業といえます。
さて、この「議論」と、それに関係する「つもり」が今回のテーマです。議論する力は、おそらくどの社会集団でも重要でしょう。議論するためには、自分はどこまで理解できていて、どこからがわからないのかがわかっていなければなりません。そして、自分が一段階上のステージに上がるためには、誰と議論すればよいのかを理解できているかどうかも重要です。オーケストラでひとつの作品を演奏する際には、自分と異なる楽器が同時に同じ旋律を演奏したり、異なる楽器と和音を作ったりすることがよくあります。そんなとき、演奏者相互で、作品に対する理解が、どの部分で共通していてどの部分が異なっているのかを理解し、問題を解決するためには誰とすりあわせをすればよいのかを考えなければなりません。この議論の力がないと、結局すべての疑問を指揮者にぶつけてきたり、相談相手がわからずに問題点を放置してしまったりします。これでは全体としてまとまりのある演奏にはなりません。
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