ビジネスマン必読! 指揮者の組織論
(12)感動する演奏のための表現の自由とは
私には多くのピアニストとの共演経験がありますが、ピアニストによって個性はさまざまです。単純に得意なレパートリーが違うというだけではなくて、たとえばオーケストラと協奏曲を演奏する活動を中心にしている人もいれば、日本歌曲や器楽の伴奏者という人もいます。ときどき、伴奏ピアニストは協奏曲を弾くピアニストよりもレベルが低いのではないかと思っている人がいますが、それは誤った見方です。実は、協奏曲の演奏法と歌曲や器楽の伴奏法はかなり異なっていて、ピアニストなのだから何でもできる、というわけではないのです。協奏曲は、大きなホールで、オーケストラの巨大な響きと格闘しなければなりません。一方、伴奏ピアニストには、旋律の流れにどのように寄り添うのか、歌手や器楽奏者のブレス(息継ぎ)にどのように反応するのか、といった繊細な技術が求められます。似たようなことは歌手にもいえます。オペラ歌手と合唱の歌手とでは、たとえば声を細かく震わせるビブラートの方法も異なります。合唱の歌手がオペラ歌手のように大きくビブラートをかけて歌うと、合唱全体としての美しい響きが得られないのです。ときどきスーパースターがいて、そういう演奏家は、協奏曲か伴奏か、オペラか合唱か、をきちんと判断して、異なる演奏法で対応できるのですが、これはきわめて稀な存在です。つまり、演奏者は、作曲者の指示どおりに、楽譜に書かれている音符をただ前から順番に演奏しているのではなくて、作曲者の国籍や生きた時代、音楽の様式などに応じて、異なる演奏をしているわけです。もちろん、指揮者も、古典派のハイドンの交響曲とロマン派のチャイコフスキーの交響曲とでは、作曲家の生きた国も時代も違うし、同じ交響曲といえども作曲様式はかなり異なりますから、それらにあわせるように異なる指示をします。
もちろん、演奏者には表現の「自由」が与えられています。ですから、どう演奏しようと、演奏したいように演奏すればよいのですが、だからといって「勝手」な演奏をすると、聴き手に作曲者の意図が伝わらなくなってしまったり、演奏者どうしの意思の疎通が難しくなってしまったりします。基本的に、演奏会を開くということは、作曲者の作品に対する意図を演奏者なりの方法で表現するという行為です。演奏者が作品をネタにして独自の表現をする場だと割り切って考えれば、演奏者独自の演奏法があってもよいのかもしれませんが、その場合には、聴き手がそのような演奏会であることを理解していなければならないでしょう。
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