私は映画評論家で、時々映画監督もやっていますので、これから何度か神戸を舞台にした映画について書かせていただこうと思います。今年は、あの「ゴジラ」や「ウルトラマン」の生みの親である、日本の特撮監督の巨匠・円谷英二の生誕120年にあたり、東京の国立映画アーカイブではその足跡をたどる「円谷英二展」も開かれています。円谷といえば、戦前から戦後まで世田谷の東宝撮影所を拠点にして数々の特撮映画を送り出した印象が強いのですが、実は戦後初めて手がけた1949年の「透明人間現わる」という作品は、他社の大映、しかも京都撮影所の作品です。
これはどういういきさつかというと、円谷は1942年の真珠湾攻撃1周年の折に公開された東宝映画「ハワイ・マレー沖海戦」という作品で、精巧なミニチュアセットにより真珠湾爆撃の迫真の再現を試みました。このリアルさに観客は息をのみ、本作は円谷の出世作となるとともに、日本映画史で特撮技術を語るうえでの里程標となりました。ところがこの作品は、海軍省企画の国威発揚映画であったため、円谷は国策プロパガンダ映画に関わったかどで敗戦後の公職追放で東宝を去るはめになります。
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