阪神・淡路大震災は、住宅密集地を襲う戦後初の都市型災害だった。
全半壊は25万棟。約46万世帯が家を失い、4万7千世帯が仮設住宅での暮らしを余儀なくされた。
兵庫県は被災地に12万戸の住宅が必要と試算。自力再建の力のある人は、二重ローンを抱えながらも自宅を再建したり、民間マンションを借りたりした。だが、高齢者や低所得者にその力はなく、仮設住宅に取り残された。
公営住宅法3条にはこうある。
地方公共団体は、低額所得者の住宅不足を緩和するため必要があると認めるときは、公営住宅の供給を行わなければならない
兵庫県や神戸市などは同法を踏まえ、約3万8千戸の公営住宅供給計画を立てたが、土地や予算確保の見通しがたたない。そこで国が公営住宅法を改正し、初めて導入したのが「借上住宅方式」だった。
都市再生機構(UR)や民間マンションを20年の期限で借り上げ、ピーク時で約7千戸を提供した。
「初期投資が抑えられる借上方式がなければ、住宅の供給は難しかった」
震災から6年間、神戸市住宅部長を務めた坂本幸夫さんは振り返る。
◆ ◆
だが、入居の際、行政が20年後の退去を丁寧に説明した形跡はない。
計4回行われた「一元化募集」の要項にも20年経過する時は公団と新たに契約を締結していただきますと小さく書かれているだけだ。
入居者は話す。
「全く知らなかった」(神戸市長田区、65歳女性)▽「仮設に神戸市の人が何度も説明に来たが、ほかの公営住宅との違いについて説明はなかった」(同市兵庫区、72歳男性)▽「20年後の退去を知っていたら応募していない」(西宮市、68歳男性)
行政は当時、どのような説明をしていたのか。神戸市の元幹部は打ち明ける。
「一刻も早く仮設住宅を解消するのが最大の目的だった。庁内で返還問題を議論したことはないし、明け渡しの義務を入居者に説明していたかといえばノーだ。募集要項に一文書いているからといって契約を強調するのは、当時を知る者としては無理がある」
さらに続ける。
「だから4年前、神戸市が退去方針を打ち出した時は驚いた。ほんまにやるの?、と」(木村信行)
2014/1/12