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(1)陳情書 長生きはしたくない 突然の退去通知、言葉失う
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窓際の光を頼りに裁縫をする笠松美智子さん=神戸市兵庫区(撮影・中西大二)
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窓際の光を頼りに裁縫をする笠松美智子さん=神戸市兵庫区(撮影・中西大二)

窓際の光を頼りに裁縫をする笠松美智子さん=神戸市兵庫区(撮影・中西大二)

窓際の光を頼りに裁縫をする笠松美智子さん=神戸市兵庫区(撮影・中西大二)

 阪神・淡路大震災で自宅を失った高齢者や低所得者に兵庫県や被災5市が用意した「借上復興公営住宅」が入居から20年で返還期限を迎える。今も約150団地に4700世帯が暮らすが、最も早い西宮市は来年秋、神戸市も2年後から退去を求めるという。

(木村信行)

 この問題を今、どれぐらいの人が知っているだろう。

 調査データはない。試しに神戸学院大学2年生の63人に聞いてみた。人文学部「生態人類学2」の受講生である。

 知っている      0人

 聞いたことはある   15人

 知らない       48人

 この数字が全てを物語るわけではないにしろ、震災から19年を迎える被災地の現状かもしれない。

     ◎      ◎

 この問題を考えるのに象徴的な人がいる。

 笠松美智子さん(79)。1人で暮らす神戸市兵庫区の「フレール新開地3丁目」は5年後の夏、明け渡し期限を迎える。そのとき、笠松さんは84歳と11カ月。神戸市が認める継続入居の基準に1カ月足りない。

 昨年11月、笠松さんは神戸市会に陳情書を出した。

 あの大震災で私たち夫婦は家の下敷きになり、4時間後に助け出されました。3つの病院と子どもの家を転々とし、日々の暮らしに希望を失っていたころ、今の住宅に入居が決まりました。これで安心して暮らせると、夫婦ともども大変喜んだことを覚えています

 だが、笠松さんの元に4年前の夏、神戸市から「お知らせ」が届く。

 借上住宅は、震災後に住宅の大量供給が必要だったため、当初より20年の期間で臨時的に民間から借り上げたものであり、順次借上期間の満了を迎えます。返還時には全戸を空き家にする必要があり、入居者の皆様には他の市営住宅等へ住み替えていただく必要があります

 言葉を失った。

 手続きをした夫は10年前に亡くなったが、「20年で退去なんて聞いたことがない。老後を考えて選んだのだから、知っていれば入居するはずがない」。

 だから、陳情書はこう結んだ。

 この住宅を出ての生活は、年齢と健康面から考えて成り立ちません

 月の生活費は年金5万円。節約のため、夫の下着を縫い直し、自分の下着を仕立てる。震災の後遺症で重い荷物が運べず、買い物は数回に分ける。牛乳と豆腐で1回、リンゴ2個と白菜で1回…。

 五つの病院に通うが、もう長生きはしたくないと2年前、神経内科の通院をやめた。昨年暮れ、夜中に意識を失った。あまりにつらく、翌朝、ふらつく足で病院に駆け込んだ。

 「めまいで死んだりせんから、ちゃんと通院してください」

 かかりつけの医者に諭された。

 「退去期限までには死んでいます。それが私の願い」。不安に押しつぶされながら、今を生きている。

     ◎      ◎

 地震で家を失い、仮設住宅から復興住宅へ。だが、震災20年を前に終(つい)のすみかと信じた暮らしがまた揺らぐ。

 なぜ、こんなことが起きたのか。

2014/1/11
 

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