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(7)松田さん 背番号「17」を選んだ
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ボールを回す。心をつなぐ
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ボールを回す。心をつなぐ

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ボールを回す。心をつなぐ

 前から見ると、車輪が「ハ」の字形になったバスケットボール用車いす。松田はゆっくりと乗り移った。ハの字の車いすが体育館の床を滑るように進む。なんて軽く動かせるのか。初めての快い感覚が体に残った。

 一九九六年三月、松田日出男=当時26歳=は、神戸市西区の兵庫県立総合リハビリテーションセンター内で中央病院からリハビリ施設に移った。同時に車いすバスケットの練習に通い始めた。

 九七年一月、リハビリを終え、自宅に戻る。同じ年、明和バスケットボールクラブ(明和BBC)に入り、バスケット用の車いすを買った。メンバーのほとんどが二十、三十歳代のせき髄損傷の障害者だった。

 練習拠点は同センターの体育館。週三-四回の練習に通った。試合に出る回数が増えた。全国各地で試合があり、行動範囲は広がった。休日になると、メンバーと遊びに出掛けた。

 ユニフォームを新調するとき、背番号を「17」にした。「自然に選んだ。あの日を忘れようと思ったことはない」

 オレンジ色の背番号「17」が、東京の体育館のコートを駆けた。〇四年五月、明和BBCは、十二年ぶりに日本一になった。決まった瞬間、メンバーと手を取り合った。喜びを分かち合える仲間が、そこにいた。

    ◆

 大きく社名が書かれたワンボックスカー。後部には商品の車いすと部品、カタログ、助手席には妻が作った弁当。右手でハンドルを握り、左手でアクセルとブレーキを兼ねたレバーを操作する。お気に入りのラジオ番組を聞きながら、松田は車を走らせる。

 昨年七月、大阪府摂津市にある福祉機器の販売会社に就職、車いす販売の営業に就いた。兵庫県内全域が担当だ。

 震災前、四トントラックを運転していた。あこがれて就いた仕事だった。震災から三年後に会社に戻り、配車係になった。その会社を退職、半年間の求職活動を経て、現在の会社に入った。

 営業に回ると、お客さんによく聞かれる。「交通事故なの?」。「震災です」と答える。次第に慣れた。

 「大変やね。私はおばあちゃんが亡くなった」「うちは家具が倒れただけやった」。反応はさまざまだ。震災は、ずっと松田についてまわる。

 入社の翌月、バスケット用車いすの販売ルートを開拓した。最初の客はチームの後輩だった。

 現在は西宮市のマンションに、四月に結婚した妻明子(27)と住む。明子は健常者で、リハビリ中に出会った。

 もし、震災がなかったら-。

 壁に突き当たるたびに考えた。けれど、そう考える回数は次第に減った。「もし…」と思うことはなくならないだろう。それでもいい。

 松田はきょうも、車のハンドルを握り、自分に声を掛ける。

 「さあ、行こか」(敬称略)

2004/8/7
 

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