やけに静かだったことを覚えている。身動きが取れないまま、夜が少しずつ白んできた。雪がひらひらと舞っていた。
トラック運転手だった今井敏行(仮名)=当時34歳=は、四十トンの大型トレーラーで阪神高速神戸線を東に進んでいた。積み荷は、ロール状に巻いた巨大な鉄板が四つ。
神戸市東灘区の深江に差し掛かったところで、地震が起きた。道路が激しく波打ち、まっすぐに並んでいたオレンジの照明灯が、宝石のように散らばって見えた。
どれぐらい時間がたったのだろう。道路ごと、高架下に投げ出されていた。下半身を挟まれて動けない。
人が集まってきた。励ましの声を遠のく意識の中で聞いた。
◆
寝ていたふとんに折れた柱が突き刺さっているのが見えた。下半身が動かず、体がひどく痛かった。がれきの中、木片をたたいて助けを求めたが、救助の声は何度も遠ざかっていった。
西宮市内のアパート。独身の松田日出男=当時25歳=は、大きな揺れで目が覚めた。ふとんからはい出したところで二階が崩れ落ちてきた。あおむけに倒れた。
「こんなところで死んでたまるか」
ほんの少し前まで、普通の生活があった。休みになればスキーやマリンスポーツを楽しみ、友達にも恵まれていた。
七、八時間後、義兄や近所の人たちががれきを取り除いてくれた。「足の上の物どけてくれ」と叫んだ。が、そこには何もなかった。
◆
揺れに耐えると、母は右手を見た。横で寝ていた小学3年の長男がタンスに埋もれていた。慌てて持ち上げると、ぴょこんと顔が飛び出した。安堵(あんど)する間もなく、隣の部屋で夫が叫んだ。「洋ちゃんがピアノの下敷きや」
神戸市灘区の公営住宅。城戸洋子=当時14歳=は、家族五人で暮らしていた。
中学三年生。大のおしゃべり好きだった。学校から帰ると、すぐに友達と長電話する。高校受験を控え、心配する母の美智子に「話の続きがあるの」と言い訳し、ケロリとしていた。
みんなでピアノを動かした。顔はきれいだ。血も流れていない。だが、「おしゃべり洋ちゃん」が何も言わない。
夜、四つ目の病院で人工呼吸器につながれた。医師が告げた。「会わせたい人を連れてきてください」。別の医師が励ました。「3%の望みはある。お母さん、何でもいいから呼び掛けて」
美智子は叫んだ。
「洋ちゃん、高校行くんでしょ! 制服着るんでしょ!」
◆
あの日、生死の境をさまよった三人は、多くの人の助けによって一命を取り留めた。ただ、重い障害が残り、それまでとは違う人生を歩むことになった。
震災から始まった三人の「生き直し」。支えてくれる人と、道を切り開いてきた。そして、今もその途上にある。
=敬称略=
(記事・網麻子、木村信行、写真・田中靖浩、峰大二郎)
2004/8/1