震災の日の午後。ラジオが緊急事態を呼び掛けた。「西宮回生病院に急患がいます。AB型です。献血のご協力をお願いします」。着のみ着のままで五十人が駆け付けた。医者はつぶやいた。「この国も捨てたもんやないな」。
阪神高速神戸線の深江付近を四十トントレーラーで走行中、倒壊した道路ごと地面にたたきつけられた今井敏行(仮名)=当時34歳=は、救急車で西宮回生病院に運ばれた。
左足からどくどくと血が流れていたが、今井のAB型の予備は切れていた。日赤兵庫県支部と連絡が取れない。看護師の機転でラジオ局に臨時放送を頼んだ。
間もなく、窓口に列ができた。「ラジオを聞いたんです」「まだ役に立てますか」。訪れる人は夜まで絶えなかった。
深夜、妻の晴美(仮名)=当時29歳=が姫路から到着した。血まみれの毛布をめくる。包帯はない。赤い肉と骨がむき出しになっていた。もうろうとした意識の中で、夫は「殺してくれ」と叫んでいた。
二日後、大阪市立総合医療センターに転院。緊急手術が始まった。
「手術中に死亡するかもしれない。左足の切断もありうる」。医者に告げられた晴美は、「この人は運転手しかできません」と訴えながら、同意書にサインした。
手術は成功した。左足はつながっていた。
病院のロビーに初老の男が二人、訪れた。手には菓子折りが一つ。つえを頼って歩く今井に名刺を差し出した。「阪神高速道路公団」。震災から二年目の秋だった。
命の危険は乗り越えたものの、激痛に耐えかねる日々が待っていた。ばらばらに砕けた骨をつなぎ、伸ばす。根気のいる手術は二十回に上った。主治医だった高山優(45)は話す。
「前日、震災で被害に遭った男性が執刀中、亡くなった。初めての経験だった。だから、この患者だけは絶対歩いて帰れるようにする、と誓ったんです」
今井の症状が落ち着いたころ、公団に連絡したのも高山だった。職員は見舞いを述べた後、言った。「高速道の倒壊は想定を超えた揺れが原因。私たちに責任はないと考えています」
いきなりの発言。込み上げる怒りをぐっとこらえた。今井は、阪神高速の倒壊で死亡した運転手の遺族が、公団を相手に損害賠償請求する動きを知っていた。
賛同したい気持ちはあったが、仕事を失った今井には、妻と二歳の一人息子を守ることが先だ。動かない体を抱え、これからどう家族を守るか。
「お宅らの言い分は分かった。せやけど私は退院しても生活ができん。公団の関連でもいいから何か仕事があったら紹介してほしい」
「分かりました」。職員は一礼し、去った。以後、連絡はなかった。(敬称略)
2004/8/4