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(5)今井さん 大事なもの見えた
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いつも家族がいた。だからここまで来れた
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いつも家族がいた。だからここまで来れた

いつも家族がいた。だからここまで来れた

いつも家族がいた。だからここまで来れた

 自宅に戻った今井は動かない左足を持て余した。「こんな体でどうやって家族を養ったらええんや」。いくら考えても答えは出ない。台所の丸いすに腰かけ、たばこに火をつける。はっとわれに返ると、根元まで灰になっている。そんな繰り返しが二年続いた。

 入退院を繰り返した今井敏行(44)=仮名=は一九九八年、姫路市の自宅に戻った。

 ひざの骨を抜いて固定した左足はもう動かない。トラック運転手の仕事は解雇されていた。四歳になった息子と妻をどうやって守るか。新たな壁に直面した。

 労災と障害者年金で、ぎりぎりの生活はできた。だが、今井は「生きがい」を見失った。「家族を養うのが男の仕事。それができんのなら、生きててもしゃあない」

 つえをついて歩く自分が惨めだった。もともと負けず嫌いで、強気で生きてきた。障害者になった自分を周囲はどう見るのか-。次第に自宅にこもるようになった。

 身体障害者登録をした姫路の公共職業安定所から、障害者の合同就職面接会があることを知らされた。初めて参加して驚いた。

 「障害者って、こんなにおるんか」。会場を見渡す。ざっと五百人。車いすの男性もいた。「ここで負けたら、仕事はない」。参加した二百社の面接を、時間の許す限り片っ端から受けた。

 四度目の面接会に挑戦した二〇〇〇年七月、いつも親切にしてくれた職安の担当者から電話があった。「ぜひ今井さんを、と言うてる会社があるんやけど、どうや」。「お願いします」。迷わず飛びついた。

 田んぼの中に、白壁の小さな家が立つ。震災の一カ月前に棟上げした今井の新居だ。あれから九年と七カ月。ローンは残っているが、一家に笑いが戻ってきた。

 新しい職場は鉄の加工会社だった。毎日、何台ものトラックが正面玄関を行き来する。その計量や伝票管理を任された。

 初めての事務仕事だったが、天職と信じていたトラックに再びかかわれることが何よりうれしかった。なじみの運転手仲間も時折、顔を見せる。

 震災とは何だったのか。今井は「運命ですわ」と答える。

 「地震に遭ってなくても、居眠り運転で人をはねていたかもしれんし、自分が死んでいたかもしれん」

 そう思えるまでの歳月の重みを、妻晴美(39)=仮名=も共有している。だからこそ、本当に大事なものが見えてきた。

 長男は、小学五年生になった。夏休み。遊びに夢中で日が暮れるまで帰ってこない。それがうれしい。

 「今の目標? 無事に定年を迎え、息子を立派に育てること。立派な目標やないですか。そう思いません?」

 晴美の顔を見ながら今井は笑った。いい顔だった。(敬称略)

2004/8/5
 

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