全国高校野球選手権兵庫大会 決勝歴代のスコア
※ 太字は全国大会優勝校
第1回 | 1915 | 神戸二中 | 3-2 | 関学中 |
第2回 | 1916 | 関学中 | 16-2 | 神戸商 |
第3回 | 1917 | 関学中 | 14-4 | 御影師範 |
第4回 | 1918 | 関学中 | 3-2 | 神戸商 |
第5回 | 1919 | 神戸一中 | 8-3 | 神戸商 |
第6回 | 1920 | 関学中 | 8-2 | 神港商 |
第7回 | 1921 | 神戸一中 | 2-1 | 甲陽中 |
第8回 | 1922 | 神戸商 | 1-0 | 神港商 |
第9回 | 1923 | 甲陽中 | 4-3 | 姫路中 |
第10回 | 1924 | 第一神港商 | 12-0 | 甲陽中 |
第11回 | 1925 | 第一神港商 | 10-1 | 神戸二中 |
第12回 | 1926 | 第一神港商 | 2-1 | 関学中 |
第13回 | 1927 | 第一神港商 | 8-3 | 甲陽中 |
第14回 | 1928 | 甲陽中 | 4-3 | 神戸二中 |
第15回 | 1929 | 関学中 | 7-4 | 神戸一中 |
第16回 | 1930 | 甲陽中 | 3-0 | 明石中 |
第17回 | 1931 | 第一神港商 | 3-0 | 育英商 |
第18回 | 1932 | 明石中 | 3-0 | 甲陽中 |
第19回 | 1933 | 明石中 | 3-0 | 育英商 |
第20回 | 1934 | 神戸一中 | 2-1 | 明石中 |
第21回 | 1935 | 育英商 | 6-1 | 明石中 |
第22回 | 1936 | 育英商 | 7-1 | 明石中 |
第23回 | 1937 | 滝川中 | 2-1 | 甲陽中 |
第24回 | 1938 | 甲陽中 | 4-1 | 滝川中 |
第25回 | 1939 | 関学中 | 3-0 | 明石中 |
第26回 | 1940 | 北神商 | 3-0 | 甲陽中 |
第27回 | 1941 | 大会中止 | - | - |
第28回 | 1946 | 芦屋中 | 4-0 | 関学中 |
第29回 | 1947 | 神戸一中 | 7-6 | 三田中 |
第30回 | 1948 | 県芦屋 | 5-3 | 神戸二中 |
第31回 | 1949 | 県芦屋 | 9-0 | 尼崎工 |
第32回 | 1950 | 明石 | 6-2 | 兵庫工 |
第33回 | 1951 | 県芦屋 | 2-0 | 育英 |
第34回 | 1952 | 県芦屋 | 8-1 | 育英 |
第35回 | 1953 | 県芦屋 | 13-3 | 育英 |
第36回 | 1954 | 滝川 | 2-0 | 赤穂 |
第37回 | 1955 | 市神商 | 4-2 | 明石 |
第38回 | 1956 | 県尼崎 | 2-1 | 洲本 |
第39回 | 1957 | 育英 | 2-1 | 県尼崎 |
第40回 | 1958 | 姫路南 | 4-0 | 報徳 |
第41回 | 1959 | 滝川 | 2-0 | 育英 |
第42回 | 1960 | 明石 | 1-0 | 育英 |
第43回 | 1961 | 報徳 | 2-0 | 県尼崎 |
第44回 | 1962 | 滝川 | 6-0 | 柏原 |
第45回 | 1963 | 市西宮 | 6-5 | 姫路南 |
第46回 | 1964 | 滝川 | 1-0 | 育英 |
第47回 | 1965 | 報徳 | 1-0 | 育英 |
第48回 | 1966 | 報徳 | 5-2 | 洲本 |
第49回 | 1967 | 報徳 | 4-0 | 三田学園 |
第50回 | 1968 | 市神港 | 1-0 | 尼崎西 |
第51回 | 1969 | 東洋大姫路 | 3-0 | 尼崎西 |
第52回 | 1970 | 滝川 | 9-2 | 洲本 |
第53回 | 1971 | 報徳 | 17-1 | 山崎 |
第54回 | 1972 | 東洋大姫路 | 4-2 | 市神港 |
第55回 | 1973 | 東洋大姫路 | 4-3 | 滝川 |
第56回 | 1974 | 東洋大姫路 | 11-2 | 加古川西 |
第57回 | 1975 | 洲本 | 3-1 | 津名 |
第58回 | 1976 | 市神港 | 6-0 | 東洋大姫路 |
第59回 | 1977 | 東洋大姫路 | 3-0 | 市尼崎 |
第60回 | 1978 | 報徳 | 3-2 | 洲本 |
第61回 | 1979 | 明石南 | 1-0 | 市尼崎 |
第62回 | 1980 | 滝川 | 4-2 | 報徳 |
第63回 | 1981 | 報徳 | 5-1 | 東洋大姫路 |
第64回 | 1982 | 東洋大姫路 | 10-0 | 市川 |
第65回 | 1983 | 市尼崎 | 8-0 | 洲本 |
第66回 | 1984 | 明石 | 3-2 | 村野工 |
第67回 | 1985 | 東洋大姫路 | 2-1 | 報徳 |
第68回 | 1986 | 東洋大姫路 | 8-7 | 滝川第二 |
第69回 | 1987 | 明石 | 4-1 | 高砂 |
第70回 | 1988 | 滝川第二 | 7-4 | 東洋大姫路 |
第71回 | 1989 | 神戸弘陵 | 11-1 | 神港学園 |
第72回 | 1990 | 育英 | 9-8 | 東洋大姫路 |
第73回 | 1991 | 村野工 | 5-3 | 神港学園 |
第74回 | 1992 | 神港学園 | 7-4 | 滝川第二 |
第75回 | 1993 | 育英 | 1-0 | 姫路工 |
第76回 | 1994 | 姫路工 | 2-0 | 飾磨 |
第77回 | 1995 | 尼崎北 | 5-2 | 神戸弘陵 |
第78回 | 1996 | 神港学園 | 15-3 | 育英 |
第79回 | 1997 | 報徳 | 9-6 | 神港学園 |
第80回 | 1998 | (東)報徳 | 18-3 | 仁川 |
(西)東洋大姫路 | 3-2 | 姫路工 | ||
第81回 | 1999 | 滝川第二 | 19-0 | 市川 |
第82回 | 2000 | 育英 | 11-0 | 関学 |
第83回 | 2001 | 東洋大姫路 | 4-2 | 姫路工 |
第84回 | 2002 | 報徳 | 5-0 | 神戸国際大付 |
第85回 | 2003 | 神港学園 | 2-1 | 東洋大姫路 |
第86回 | 2004 | 報徳 | 12-8 | 市尼崎 |
第87回 | 2005 | 姫路工 | 3-2 | 神戸国際大付 |
第88回 | 2006 | 東洋大姫路 | 5-4 | 神港学園 |
第89回 | 2007 | 報徳 | 10-6 | 神戸国際大付 |
第90回 | 2008 | (東)報徳 | 2-1 | 神戸弘陵 |
(西)加古川北 | 5-2 | 洲本 | ||
第91回 | 2009 | 関学 | 4-1 | 育英 |
第92回 | 2010 | 報徳 | 4-0 | 市川 |
第93回 | 2011 | 東洋大姫路 | 6-0 | 加古川北 |
第94回 | 2012 | 滝川第二 | 6-2 | 加古川北 |
第95回 | 2013 | 西脇工 | 3-2 | 東洋大姫路 |
第96回 | 2014 | 神戸国際大付 | 11-1 | 三田松聖 |
第97回 | 2015 | 滝川第二 | 8-2 | 明石商 |
第98回 | 2016 | 市尼崎 | 3-2 | 明石商 |
第99回 | 2017 | 神戸国際大付 | 4-0 | 明石商 |

最古の歴史を誇る地方大会 激闘をたどる
1915(大正4)年、全国中等学校優勝野球大会として始まった全国高校野球選手権大会は2018年、第100回の節目を迎えた。出場7校だった第1回大会から兵庫は全国で唯一、県単独で地方大会を開催し、全大会に代表校を送り出してきた。単独の地方大会では最古の歴史を誇り、数々の激闘が繰り広げられてきた。
1
10
- 1第1回大会(1915年・大正4年)神戸二中 逆転で初代王者「二中熱狂す」-。1915(大正4)年8月。記念すべき第1回兵庫県野球大会は7校が参加し、神戸・灘にあった関学中の校庭(原田の森)で行われた。神戸二中(現兵庫)と関学中(現関学)の決勝は神戸二中が0-2の九回裏に3点を奪い、劇的なサヨナラ勝ちを収めた。詳しく読む
- 2第2回大会(1916年・大正5年)関学中が初の栄冠 準決勝で神戸二中に雪辱土壇場の逆転劇で第1回覇者の誉れを神戸二中(現兵庫)に奪われた関学中(現関学)が、第2回大会(1916年)に準決勝で神戸二中に雪辱を果たした。決勝では神戸商(現県神戸商)に16-2で大勝、初の栄冠に輝いた。詳しく読む
- 3
- 4第4回大会(1918年・大正7年)関学中が3連覇 全国大会は米騒動で中止第4回大会(1918年)は関学中(現関学)が1回戦で明石農に28-0の記録的な大勝を収めた。2回戦で神戸一中(現神戸)、準決勝で御影師範学校に快勝し、決勝は神戸商に3-2で競り勝った。詳しく読む
- 5第5回大会(1919年・大正8年)神戸一中、兵庫初の全国制覇第5回大会(1919年)を制したのは神戸一中(現神戸)。1896(明治29)年創部の屈指の伝統校は決勝で神戸商を退けて初優勝を飾った。詳しく読む
- 6第6回大会(1920年・大正9年)関学中、念願の日本一達成第6回大会(1920年)は関学中(現関学)が2年ぶりに頂点に返り咲いた。右アンダースローの沢昇は病を押しての4連投ながら、決勝でも8-2と神港商を圧倒した。詳しく読む
- 7第7回大会(1921年・大正10年)神戸一中、14校の頂点に洲本中(現洲本)や青年会商(廃校)などの初参加も加えた第7回大会(1921年)。14校の頂点に立ったのは神戸一中(現神戸)だった。詳しく読む
- 8第8回大会(1922年・大正11年)小さな大投手・神戸商の浜崎「小さな大投手」が躍動したのが第8回大会(1922年)だ。神戸商の浜崎真二は身長150センチ台ながらエースとして君臨。決勝は1-0で神港商(後の第一神港商)との投手戦を制すると、全国大会でも準優勝した。詳しく読む
- 9第9大会(1923年・大正12年)「逆転の甲陽中」が全国優勝第9回大会(1923年)は「逆転の甲陽中」が日本一に輝いた。姫路中(現姫路西)との県大会決勝で、0-3から四回の4得点でひっくり返して初の頂点に立つと、全国大会も5試合中4試合が逆転劇を演じた。詳しく読む
- 10第10回大会(1924年・大正13年)第一神港商が初優勝 全5試合で74得点100回目を迎える今夏も、この偉業が破られることはない。1924(大正13)年の第10回大会から27年の第13回大会まで続いた第一神港商の兵庫大会4連覇だ。詳しく読む
11
20
- 11第11回大会(1925年・大正14年)第一神港商が2連覇1925(大正14)年の第11回大会は第一神港商が2連覇を達成した。初戦の2回戦で姫路師範学校から21点を奪い、準々決勝が神戸三中(現長田)相手に15得点。決勝も神戸二中(現兵庫)に10-1で完勝し、圧倒的な強さで優勝を飾った。詳しく読む
- 12第12回大会(1926年・大正15年)第一神港商が3連覇 大正時代最後の大会大正時代最後の大会となった1926(大正15)年の第12回大会は、第一神港商が連覇を「3」に伸ばした。決勝の相手はくしくも第2回大会から3連覇した関学中(現関学)。2-1で競り勝ち、同校が持つ大会連覇記録に肩を並べた。詳しく読む
- 13第13回大会(1927年・昭和2年)第一神港商、未到の4連覇 強打者・山下実が君臨年号が大正から昭和に入って初の大会となった第13回大会(27年)は再び甲陽中に8-3で快勝した。ただ、全国大会では毎年のように優勝候補に挙げられながらも、第11回大会のベスト4が最高成績だった。詳しく読む
- 14第14回大会(1928年・昭和3年)甲陽中、延長制し聖地へ1928(昭和3)年の第14回大会は、甲陽中(現甲陽)が全国大会初出場初優勝を果たした第9回以来となる2度目の優勝。神戸二中(現兵庫)との決勝は延長十回に勝ち越し、4-3で競り勝った。詳しく読む
- 15第15回大会(1929年・昭和4年)関学中、昭和初期に隆盛第15回大会(1929年)の頂点に立ったのは、前年の第5回選抜大会を制するなど、全国有数の強豪にのし上がっていた関学中(現関学)。選抜優勝後の28年夏は主力選手が米国遠征していたため、県大会2回戦で敗退したが、29年は決勝で神戸一中(現神戸)に7-4で勝利。日本一に輝いた第6回大会以来、9年ぶりに兵庫を制した。詳しく読む
- 16第16回大会(1930年・昭和5年)甲陽中、怪腕下し3度目優勝甲陽中(現甲陽)が2年ぶり3度目の優勝を飾った第16回大会(1930年)。怪腕と称された楠本保を擁する新進の明石中(現明石)の挑戦を3-0で退けた。エースの先発完投が多い時代には珍しく、全5試合を継投で勝ち上がった。詳しく読む
- 17第17回大会(1931年・昭和6年)第一神港商、岸本擁しV大阪桐蔭が史上3校目の2連覇を果たした今春の選抜大会。初めて連続優勝を達成したのは、1929、30(昭和4、5)年の第一神港商だ。戦前の春の甲子園に栄光を刻んだ同校だが、どちらもその夏の兵庫大会は1回戦で敗退している。詳しく読む
- 18第18回大会(1932年・昭和7年)新鋭の明石が初優勝第1回大会から神戸、阪神間のチームを中心に回っていた兵庫の中等学校野球。礎を築いた強豪に割って入ったのが、1927(昭和2)年初出場の新鋭、明石中(現明石)だ。30年から39年までの10年間で7度の決勝進出、うち優勝は2度。「明中時代」が到来した。詳しく読む
- 19第19回大会(1933年・昭和8年)明石中、甲子園で死闘「延長二十五回」翌33年春の選抜大会で準優勝した明石中は、第19回大会も剛腕・楠本に加え、1学年下に左腕中田武雄が控える盤石の投手力で2連覇。堂々の優勝候補として乗り込んだ甲子園で、今も語り継がれる伝説の「延長二十五回」を生む。詳しく読む
- 20第20回大会(1934年・昭和9年)神戸一中 延長二十回の末、明石中破る慶応大に進んだ楠本が抜けた第20回大会(34年)も、明石中は兵庫大会を順当に勝ち進んだが、決勝で神戸一中(現神戸)に延長二十回の末に1-2で敗れた。前年の延長二十五回に続いて完投した中田は「延長に泣く投手」と呼ばれた。詳しく読む
21
30
- 21第21回大会(1935年・昭和10年)育英商、名門への道1935(昭和10)年の第21回大会は育英商(現育英)が悲願の初優勝を成し遂げた。後に全国制覇を果たし、数々のスター選手を生む同校が名門への道を切り開いた。詳しく読む
- 22第22回大会(1936年・昭和11年)育英商V2、全国区に前年、創部初の栄冠に輝いた育英商(現育英)。1936(昭和11)年の第22回大会も決勝で明石中(現明石)と顔を合わせた。再び7-1で退けて2連覇を果たし、時代の転換を印象づけた。前年春から4季連続出場となった甲子園大会も準決勝まで勝ち進み、全国区に駆け上がった。詳しく読む
- 23第23回大会(1937年・昭和12年)滝川中、念願の初優勝1937(昭和12)年の第23回大会は滝川中(現滝川)が念願の初優勝。現在、滝川第二に伝統が受け継がれる屈指の強豪が歴史の扉を開いた。詳しく読む
- 24第24回大会(1938年・昭和13年)甲陽中、別当薫が君臨第24回大会(1938年)で4度目の優勝を飾った甲陽中(現甲陽)。投打の大黒柱だった別当薫は、慶大を経てプロ野球大阪(現阪神)に入団し、藤村富美男らとともに「ダイナマイト打線」を形成した。引退後は毎日(現ロッテ)や大洋(現DeNA)などで監督を務め、野球殿堂入りを果たした球界の偉人だ。詳しく読む
- 25第25回大会(1939年・昭和14年)関学中、戦前最後の甲子園1939(昭和14)年の第25回大会は関学中(現関学)が10年ぶりに兵庫の覇権を奪回した。「関西学院野球部百年史」によれば、投手の富樫泰と遊撃手の富樫淳、二塁手の須古治と中堅手の須古真はともに兄弟。2組の兄弟選手を擁して夏の代表の座をつかんだ。詳しく読む
- 26第26回大会(1940年・昭和15年)北神商 最初で最後のV1940(昭和15)年の第26回大会は、39年春の選抜大会に出場した北神商が初の栄冠を奪った。1回戦で第一神港商を下すと、準決勝は育英商(現育英)に延長で競り勝ち、決勝は甲陽中(現甲陽)に3-0で完封勝ち。全国大会の常連校を次々と破る大躍進だった。詳しく読む
- 27第27回大会(1941年・昭和16年)軍事色強まり大会中止軍事態勢が強まった1941(昭和16)年は異例の大会となった。文部省(当時)は全国規模のスポーツ大会の禁止を通達し、8月に予定された全国中等学校優勝野球大会は中止。第27回兵庫大会は1回戦10試合、2回戦2試合を行った時点で打ち切られ、優勝校は決まらなかった。詳しく読む
- 28第28回大会(1946年・昭和21年)球音再び 初出場の芦屋中が優勝終戦から1年後の1946(昭和21)年、兵庫にも球音が戻った。途中で大会中止となった41年以来、5年ぶりに再開された第28回大会。戦後初の覇者は、初出場の芦屋中(現県芦屋)だった。詳しく読む
- 29第29回大会(1947年・昭和22年)神戸一中、13年ぶり復活愛知・中京商の全国中等野球大会3連覇時に監督を務めた山岡嘉次が神戸一中(現神戸)に赴任したのは、1935(昭和10)年だった。44年3月に横浜へ移るまで、明治年間創部の古豪に在籍した。山岡監督時代、神戸一中は全国大会に出場できなかったが、戦後2年目の47(同22)年に復活を果たす。詳しく読む
- 30第30回大会(1948年・昭和23年)県芦屋に優勝盾“初代覇者”神戸二届かず戦後の学制改革が実施され「高校野球」元年となった1948(昭和23)年。第30回大会は第1回優勝校が頂点へあと一歩に迫った。旧制神戸二中から改称された神戸二高は、同年春の選抜大会に初出場した勢いそのままに決勝まで躍進した。詳しく読む
31
40
- 31第31回大会(1949年・昭和24年)戦後をリードした県芦屋 2年連続3度目V戦後の兵庫高校野球をリードした県芦屋。1945(昭和20)年創部の新興校は、第31回大会(同49年)で2年連続3度目の頂点に立った。詳しく読む
- 32第32回大会(1950年・昭和25年)古豪・明石再興 溝畑が完全試合愛知・中京商との球史に残る延長二十五回の死闘から17年。1950(昭和25)年の第32回大会で、古豪・明石が夏の甲子園に帰ってきた。詳しく読む
- 33第33回大会(1951年・昭和26年)県芦屋、立役者は2年生エース植村今も昔も球児たちが夢見る「深紅の大優勝旗」。兵庫勢は戦前に3度、手にする栄誉に浴したが、甲陽中(現甲陽)が全国制覇した第9回大会(1923年)以降、30年近い空白が生まれた。待ちわびた地元に優勝旗を翻したのは、新鋭の県芦屋だった。詳しく読む
- 34第34回大会(1952年・昭和27年)県芦屋が全国制覇 甲子園から地元へパレード県芦屋は翌52年の第34回大会でさらに強さを増した。3回戦で前年春の選抜大会準優勝の鳴尾に5-1で快勝。中田昌宏(元阪急)-藤尾茂(元巨人)のバッテリーを擁した実力校を制すと、4回戦以降はいずれも圧勝し、決勝では再び育英を8-1の大差で退けた。詳しく読む
- 35第35回大会(1953年・昭和28年)県芦屋、戦後初のV353年の第35回大会は全国優勝の主力8人が抜け、苦戦が予想されたが、前評判を覆す。県芦屋は三たび決勝で顔を合わせた育英をまたも下し、3年連続優勝の偉業を達成する。詳しく読む
- 36第36回大会(1954年・昭和29年)住友工・村山実が快投滝川が2度目の優勝を飾った1954(昭和29)年の第36回大会は、後にプロ野球史に名を刻む大投手が足跡を残している。尼崎・住友工のエース村山実。関大を経て大阪(現阪神)入りし、通算222勝をマーク。「ミスタータイガース」と称されたレジェンドだ。詳しく読む
- 37第37回大会(1955年・昭和30年)釜内氏率い 市神戸商が初V戦後10年の1955(昭和30)年。第37回大会は、後にプロ野球で完全試合を達成する森滝義巳を擁した兵庫などの強豪を押しのけ、市神戸商が初優勝をさらった。決勝は、春の県大会で1-16と大敗した明石に4-2で雪辱。当時の4番打者、津田朝良(80)は「OBにめちゃくちゃ絞られたから、気合は入っていた」と回想する。詳しく読む
- 38第38回大会(1956年・昭和31年)県尼崎、全盛期の初栄冠1950年代に春4度、夏1度の甲子園出場を誇る県尼崎。兵庫大会を唯一制したのは今津光男(元中日、広島)がエースとして君臨した第38回大会(56年)だ。詳しく読む
- 39第39回大会(1957年・昭和32年)育英、22年ぶり返り咲き育英商時代の1935(昭和10)年夏に全国準優勝した名門が、57年の第39回大会で戦後初の優勝を遂げた。51年から3年続けて決勝で県芦屋に苦杯。雌伏の時を経て22年ぶりに返り咲いた。詳しく読む
- 40第40回大会(1958年・昭和33年)姫路南、西播勢初の頂点1958(昭和33)年の第40回大会は姫路南が初優勝。神戸・阪神勢に明石が対抗してきた兵庫の勢力図に、姫路市西部の新鋭が風穴をあけた。詳しく読む
41
50
- 41第41回大会(1959年・昭和34年)滝川・吉本 名将への一歩兵庫の高校野球を長くけん引した名将が歴戦の一歩を記した。1959(昭和34)年の第41回大会は吉本宗泰監督が率いた滝川が優勝。母校に戻り、就任3年目で監督として初の栄冠に輝いた。詳しく読む
- 42第42回大会(1960年・昭和35年)明石、土井正三の育英下す1960(昭和35)年の第42回大会は伝統校、明石が4度目の栄冠に輝いた。決勝の相手は前年準優勝の育英。後に巨人のV9に貢献する土井正三が要を担った。戦力的には劣っていた明石だったが、1-0で競り勝つ。決勝の1点は名手・土井の悪送球で許した走者だった。詳しく読む
- 43第43回大会(1961年・昭和36年)誕生「逆転の報徳」延長十一回裏に6点差を追い付き、十二回裏にサヨナラ勝ち。1961(昭和36)年夏の甲子園1回戦、岡山・倉敷工相手に奇跡的な試合を演じ、今に受け継がれる「逆転の報徳」は誕生した。詳しく読む
- 44第44回大会(1962年・昭和37年)「柏原旋風」輝く準優勝ダークホースの快進撃は「柏原旋風」と呼ばれた。1962(昭和37)年の第44回大会で初の決勝に勝ち進んだ柏原。滝川に完敗を喫し、準優勝に終わったが、丹波勢で唯一、県最北部の決勝進出校として名を刻む。詳しく読む
- 45第45回大会(1963年・昭和38年)市西宮、有言実行の初V1963(昭和38)年の第45回大会は、決勝で市西宮が6-5で姫路南を下して初優勝。同年春の選抜に続く甲子園の開会式では、例年プラカード先導を務める女子生徒との行進が実現した。詳しく読む
- 46第46回大会(1964年・昭和39年)滝川・芝池、48回2/3無失点兵庫大会6試合、48回2/3を投げて失点ゼロ。1964(昭和39)年の第46回大会は滝川のエース、芝池博明の独壇場だった。勝負の準々決勝以降は3試合連続完封。2回戦で敗れた甲子園大会まで、59回連続無失点の記録を残した。詳しく読む
- 47第47回大会(1965年・昭和40年)報徳、育英・鈴木啓示との投手戦制す1961(昭和36)年の第43回全国選手権で大逆転劇を演じ、鮮烈な甲子園デビューを飾った報徳。4年後の第47回大会から戦後2校目の兵庫大会3連覇を達成し、県内屈指の強豪に駆け上がっていく。詳しく読む
- 48第48回大会(1966年・昭和41年)報徳が2年連続頂点 甲子園でベスト466年の第48回大会は4回戦で再び育英をサヨナラで下すと、決勝は淡路勢初の頂点を目指した洲本を5-2で退ける。詳しく読む
- 49第49回大会(1967年・昭和42年)報徳 無敵の3連覇 猛練習、不動の名門へ春の選抜出場校として臨んだ67年の第49回大会は、県内ではもはや無敵の存在だった。準々決勝で育英に8-0、決勝も三田学園に4-0。3年連続優勝の快挙とともに、前年夏から3季連続甲子園出場を決めた。詳しく読む
- 50第50回大会(1968年・昭和43年)伝説の剛腕 市神港・山口1915(大正4)年に産声を上げた兵庫大会は、68(昭和43)年で第50回を迎えた。節目を飾ったのは、第一神港商時代に選抜大会連覇を誇る古豪・市神港。37年ぶり6度目優勝の立役者は伝説の剛腕、山口高志だ。詳しく読む
51
60
- 51第51回大会(1969年・昭和44年)東洋大姫路、時代の序章1969(昭和44)年の第51回大会は、新たな強豪がのろしを上げた。63年創部の東洋大姫路。弱冠27歳の梅谷馨監督が率い、64年の兵庫大会初出場からわずか6年で頂に登り詰めた。詳しく読む
- 52
- 53第53回大会(1971年・昭和46年)山崎、快進撃の準優勝西播磨から強烈な風が吹いた。1971(昭和46)年の第53回大会は山崎が初の決勝進出。甲子園には届かなかったが、公立校の快進撃は山間部のまちに夢を抱かせた。詳しく読む
- 54第54回大会(1972年・昭和47年)東洋大姫路、市神港と死闘高校野球界にとどろく「夏の東洋」の異名を確かにした。1972(昭和47)年の第54回大会から3年連続優勝。63年の創部から10年で東洋大姫路が牙城を築き上げた。詳しく読む
- 55第55回大会(1973年・昭和48年)東洋大姫路、チームの危機乗り越え2連覇翌73年の第55回大会はチーム内の危機を乗り越えた。5月に4番打者の池尻一平が練習中に心臓まひで急死。中心打者を亡くす悲しみに包まれる中、エース福井幸次は右手のけんしょう炎の痛みに耐えながら力投を続けた。詳しく読む
- 56第56回大会(1974年・昭和49年)「夏の東洋」魂のV3 名将田中、鬼気迫る練習重ね74年の第56回大会は、後に阪急で活躍する弓岡敬二郎が1年生で1番・遊撃を担う。走攻守の三拍子が備わった黄金ルーキーは準決勝の滝川戦、3-3で迎えた九回裏2死からヒットでつないでサヨナラ勝ちを呼び込む。加古川西との決勝では3安打の固め打ちで11-2の圧勝を導いた。詳しく読む
- 57
- 58第58回大会(1976年・昭和51年)古豪・市神港、最後の栄冠1976(昭和51)年の第58回大会は市神港が8年ぶり7度目の優勝を飾った。2018年3月に学校統合により閉校した同校にとって、これが最後の夏の栄冠となった。詳しく読む
- 59第59回大会(1977年・昭和52年)東洋大姫路、深紅の大旗1977(昭和52)年の第59回大会は、王者・東洋大姫路が盤石の勝ち上がりを見せた。5度目の出場となった夏の甲子園では決勝で安井浩二主将がサヨナラ3ラン。大会史上初の快挙で初優勝を飾り、52年の県芦屋以来、25年ぶりに兵庫に深紅の大旗を持ち帰った。詳しく読む
- 60第60回大会(1978年・昭和53年)淡路勢躍進、4強に3校 報徳が優勝甲子園球場でゲームができるのは地元兵庫球児のいわば特権。1978(昭和53)年の第60回記念大会も、神戸北と初出場の三木東が対戦する開幕カードをはじめ5試合が組まれた。詳しく読む
61
70
- 61第61回大会(1979年・昭和54年)波乱の大会、明石南初V1979(昭和54)年の第61回大会は波乱が相次いだ。この年の選抜大会8強の尼崎北は5回戦で敗れ、ベスト8は豊岡、舞子、兵庫、明石南、尼崎小田、武庫荘、市尼崎の公立が7校を占めた。4回戦で2点差を追う九回に一挙5点を挙げ、御影工に逆転勝ちして勢いづいた明石南が初の頂点に上り詰めた。詳しく読む
- 62第62回大会(1980年・昭和55年)「滝川」最後の優勝 10年ぶり7度目県高校球界をリードしてきた滝川と報徳が夏の決勝で顔を合わせるのは、1980(昭和55)年の第62回大会が初めて。同年の選抜大会ベスト16の滝川が4-2で逆転勝ちし、春夏連続の甲子園出場を決めた。10年ぶり7度目の栄冠。「滝川」としての優勝は、これが最後となる。詳しく読む
- 63第63回大会(1981年・昭和56年)報徳、金村擁し悲願の全国制覇1981(昭和56)年の第63回大会決勝は、報徳が5-1で東洋大姫路を下して春夏連続の甲子園出場を決め、さらに悲願の全国制覇を達成した。詳しく読む
- 64第64回大会(1982年・昭和57年)中播磨決戦、東洋に軍配1982(昭和57)年の第64回大会から、シード校の4回戦までの試合が近くの球場に固定された。例えば北播の有力校・社。前回の組み合わせでは初戦の2回戦が神戸市民、3回戦姫路、4回戦尼崎記念だったが、今回はすべて明石となった。詳しく読む
- 65第65回大会(1983年・昭和58年)市尼崎、三度目の正直須磨友が丘、川西北陵、三木北、神戸弘陵が初出場した1983(昭和58)年の第65回大会参加校は152を数えた。全国49の地方大会では神奈川、大阪、愛知に次ぐ4番目の多さ。詳しく読む
- 66第66回大会(1984年・昭和59年)明石復活、24年ぶりV1984(昭和59)年の第66回大会終盤は、ロサンゼルス五輪の会期と重なった。西宮甲山、播磨南、加古川南の初陣3校を含め、155校が参加した。同年開校の播磨南は1年生だけのチーム編成で臨み初戦でコールドゲーム負けしたが、翌々年に大会初勝利を含む2勝をマークする。詳しく読む
- 67第67回大会(1985年・昭和60年)名門「滝川」最後の夏1985(昭和60)年の第67回大会を最後に廃部となる滝川が、全国的な注目を集めた。東洋大姫路との4回戦。姫路球場は約7千人の観客で膨れ上がった。詳しく読む
- 68
- 69
- 70第70回大会(1988年・昭和63年)滝川第二 創部5年でV1988(昭和63)年の第70回記念大会は加古川東が西宮東、滝川、高砂のシード校を連破して29年ぶりにベスト8へ進み、新設された敢闘賞を受けた。決勝は滝川第二が7-4で東洋大姫路を下し、2年前の決勝の雪辱を果たした。詳しく読む
71
80
- 71第71回大会(1989年・平成元年)神戸弘陵、初の頂点1989(平成元)年の第71回大会は、プロ注目の本荘雅章をエースに擁した関学の18年ぶり8強進出が話題となった。当時の高校球界では珍しい長髪のナインは伸び伸びプレーした。詳しく読む
- 72
- 73第73回大会(1991年・平成3年)安達擁し 村野工が初V1991(平成3)年の第73回大会は、140キロ超の速球を誇る大型左腕の2年生エース安達智次郎を擁した村野工が悲願の初優勝を飾った。詳しく読む
- 74第74回大会(1992年・平成4年)神港学園、大願成就直近4年間で3度目の決勝進出。1992(平成4)年の第74回大会で神港学園がとうとう大願を成就させた。準決勝で選抜8強の育英を撃破すると、決勝では春の県大会覇者・滝川第二を退けた。前年準優勝の悔しさを知るエース井上立暁を中心に、旧私神港時代の82年から指揮を執る北原光広監督が執念を見せた。詳しく読む
- 75第75回大会(1993年・平成5年)育英、悲願の全国制覇前年秋の兵庫県大会は公立勢が4強を独占。春の兵庫県、近畿大会は姫路工が初優勝した。迎えた1993(平成5)年の第75回兵庫大会。初の決勝に進んだ姫路工を相手に、前年の選抜大会8強メンバーが残る育英が私学の意地を見せた。詳しく読む
- 76第76回大会(1994年・平成6年)姫路工が台頭、公立の雄に公立の雄として台頭した姫路工は「旬」を迎えていた。前年の兵庫県大会は春優勝、夏準優勝、秋準優勝。秋の近畿大会では4強入りし、甲子園初出場となった1994(平成6)年の選抜大会でベスト8に進んだ。詳しく読む
- 77第77回大会(1995年・平成7年)震災乗り越え、尼崎北制す1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、被災地の球児たちにも大きな影響をもたらした。ただ、一時は開催が危ぶまれた選抜大会は神港学園、育英、報徳の3校がそろって初戦を突破し、地元に明るい話題を提供した。詳しく読む
- 78第78回大会(1996年・平成8年)神港学園、神戸対決を制す私学が4強を独占した1996(平成8)年の第78回兵庫大会。春は県大会東神戸地区大会初戦で敗れたノーシードの神港学園が4年ぶり2度目の王座に返り咲いた。詳しく読む
- 79第79回大会(1997年・平成9年)報徳が劇的サヨナラV弾1997(平成9)年の第79回大会決勝は劇的なサヨナラ本塁打で決着がついた。前年夏の優勝校・神港学園と同年春の選抜大会4強の報徳が激突。二回までに4点を先行した報徳を神港学園が猛追し、八回表に逆転。粘る報徳は八回裏に追い付くと、九回、4番申原直樹のバックスクリーンへの3ランで激闘に終止符を打った。詳しく読む
- 80第80回大会(1998年・平成10年)初の東西分割 東は報徳、西兵東洋大姫路が頂点史上初の東西分割開催となった1998(平成10)年の第80回記念大会。東兵庫は報徳、西兵庫は東洋大姫路が頂点に立ち、兵庫の両雄が存在を誇示した。詳しく読む
81
90
- 81第81回大会(1999年・平成11年)滝川第二 決勝最多の19得点記録に残る圧巻の優勝劇だった。1999(平成11)年の第81回大会は滝川第二が決勝史上最多の19得点。19-0で市川を退け、第53回大会の報徳-山崎の16点差(17-1)を上回り、最多得点差も塗り替えた。詳しく読む
- 82第82回大会(2000年・平成12年)育英監督・藤村、就任1年で優勝名門校が新たな時代を迎えた。2000(平成12)年の第82回大会を制した育英の監督、藤村雅美はミスタータイガースと称された藤村富美男の次男。三田学園出身で育英OBではない指揮官が、就任1年で歓喜を引き寄せた。詳しく読む
- 83第83回大会(2001年・平成13年)東洋大姫路、アンが躍動異色の左腕は彗星(すいせい)のように現れた。東洋大姫路が3年ぶりの頂点に立った2001(平成13)年の第83回大会は、ベトナム難民の両親を持つグエン・トラン・フォク・アンが快投。入学間もない1年生が甲子園へけん引した。詳しく読む
- 84第84回大会(2002年・平成14年)報徳が3冠「平成最強」 史上2校目平成以降では「兵庫最強」の呼び声が高い。2002(平成14)年の第84回大会で優勝した報徳。新チーム結成から県内公式戦は21戦無敗を誇り、史上2校目の秋春夏の県大会3冠を達成。秋の明治神宮大会、春の選抜大会を制し、全国でも指折りのチームだった。詳しく読む
- 85第85回大会(2003年・平成15年)試合巧者の神港学園、アン砕く1年生夏に鮮烈にデビューした東洋大姫路の左腕、グエン・トラン・フォク・アン。3年生になった2003(平成15)年は選抜大会で4強に進出し、名実ともに大黒柱にのし上がった。同年夏の第85回大会で主役に立ちはだかったのが、試合巧者の神港学園だった。詳しく読む
- 86第86回大会(2004年・平成16年)北播の雄・社、無念の4強2004(平成16)年の第86回大会は北播の雄・社が初優勝の期待を集めた。大前佑輔、坪井俊樹(元ロッテ)の左腕2人を柱に、同年の選抜大会は初出場で4強。夏も本命視されたが、待っていたのは悲劇的な結末だった。詳しく読む
- 87第87回大会(2005年・平成17年)私学連破 姫路工、ノーシードから奪取公立勢の覇権奪取は1995年の尼崎北以来、10年ぶり。2005(平成17)年の第87回大会は姫路工がノーシードから頂点に駆け上がった。詳しく読む
- 88第88回大会(2006年・平成18年)東洋大姫路、決勝で九回逆転サヨナラ「夏の東洋」が劇的に雪辱を果たした。2006(平成18)年の第88回大会決勝は東洋大姫路が神港学園に九回逆転サヨナラ勝ち。03年の決勝で延長の末、神港学園に屈した名門が11度目の歓喜に浸った。詳しく読む
- 89第89回大会(2007年・平成19年)王者・報徳、近田がけん引2002年の選抜大会優勝以降、兵庫高校球界の中心に君臨し続けた王者・報徳。07(平成19)年の第89回大会も初優勝を狙った神戸国際大付の挑戦を退け、県内単独トップとなる12度目の栄冠に輝いた。詳しく読む
- 90第90回大会(2008年・平成20年)90回記念大会 東は報徳、西は無名校の加古川北2008(平成20)年の第90回記念大会は10年に1度の東西分割大会。東兵庫は伝統校の報徳が、エース近田怜王(元ソフトバンク)を擁して頂点に立った一方、西兵庫は公立の加古川北が初優勝。春夏通じて初の甲子園切符をつかみ、旋風を巻き起こした。詳しく読む
91
100
- 91第91回大会(2009年・平成21年)関学、70年ぶりの夏70年ぶりの出場は夏の甲子園史上最長ブランク。2009(平成21)年の第91回大会は関学が戦前の1939年以来となる頂点に返り咲いた。詳しく読む
- 92第92回大会(2010年・平成22年)報徳、県内最多14度目V秋の近畿王者、神戸国際大付と神港学園のセンバツ出場2校に、春の近畿を制した報徳。2010(平成22)年の第92回大会は市川を含めた私学が4強を占めた。決勝は、3度目の進出で悲願達成を狙う市川を報徳が完封、県内最多の優勝回数を14に伸ばした。詳しく読む
- 93第93回大会(2011年・平成23年)史上初の決勝再試合に 東洋大姫路と加古川北兵庫球史に残る名勝負が繰り広げられた。2011(平成23)年の第93回大会決勝の東洋大姫路-加古川北は、延長十五回2-2で両者譲らず、史上初の決勝引き分け再試合にもつれ込んだ。東洋大姫路が翌日の再試合を6-0で制し、計4時間40分に及ぶ死闘に決着をつけた。詳しく読む
- 94第94回大会(2012年・平成24年)滝川第二 13年ぶり制覇2012(平成24)年の第94回大会決勝は、神戸国際大付や社、前年秋の県大会覇者・報徳と強豪を連破した滝川第二と、2年連続で進出した公立の新鋭・加古川北が激突した。詳しく読む
- 95第95回大会(2013年・平成25年)北播勢初 西脇工が歓喜「駅伝名門校」の球児が春夏を通じて初の甲子園出場を遂げた。2013(平成25)年の第95回大会は、西脇工がエースで4番の翁田(おうた)勝基を柱に驚異的な粘りで強豪を連破し、北播勢初の優勝旗を手にした。詳しく読む
- 96第96回大会(2014年・平成26年)神戸国際大付 宿願果たす2014(平成26)年の第96回大会は、神戸国際大付が宿願を果たした。春は3度の選抜大会出場を誇り、05年には甲子園4強も経験した強豪が、ついに「夏の壁」を破った。詳しく読む
- 97第97回大会(2015年・平成27年)100年の節目、滝川第二制す1915年の第1回大会から1世紀。100年の節目を迎えた2015(平成27)年の第97回大会は、滝川第二が3年ぶり4度目の頂点へ上り詰めた。08年の東西分割大会を除くと、ノーシードからの優勝は05年の姫路工以来。2年生友井寛人の安定した投球と勝負強い打線が光り、俊足の1番根来祥太が8盗塁を記録した。詳しく読む
- 98第98回大会(2016年・平成28年)市尼崎、涙の33年ぶりV公立校同士の決勝は8年ぶり。2016(平成28)年の第98回大会は、市尼崎が選抜大会ベスト8の明石商を3-2で破り、池山隆寛(元ヤクルト)を擁して初優勝した第65回以来、33年ぶりに王座を奪回した。詳しく読む
- 99第99回大会(2017年・平成29年)神戸国際大付が春夏連続強豪校が階段をまた一歩上がった。2017(平成29)年の第99回大会は、神戸国際大付が3年ぶり2度目の優勝。激戦区・兵庫で10年ぶりの春夏連続甲子園出場を果たした。詳しく読む
- 100第100回大会(2018年・平成30年)100回大会 東は報徳が記念大会V3 西は明石商が初V2018(平成30)年の第100回記念大会は10年に1度の東西分割大会。東兵庫は100回の節目に名門が新たな歴史を打ち立てた。春夏3度の甲子園大会優勝を誇る報徳が制覇。8年ぶりに夏の聖地への切符をつかみ、県内最多の優勝回数を「15」に塗り替えた。詳しく読む
全国高校野球選手権兵庫大会
決勝歴代のスコア
決勝歴代のスコア
※ 太字は全国大会優勝校
第1回 | 1915 | 神戸二中 | 3-2 | 関学中 |
第2回 | 1916 | 関学中 | 16-2 | 神戸商 |
第3回 | 1917 | 関学中 | 14-4 | 御影師範 |
第4回 | 1918 | 関学中 | 3-2 | 神戸商 |
第5回 | 1919 | 神戸一中 | 8-3 | 神戸商 |
第6回 | 1920 | 関学中 | 8-2 | 神港商 |
第7回 | 1921 | 神戸一中 | 2-1 | 甲陽中 |
第8回 | 1922 | 神戸商 | 1-0 | 神港商 |
第9回 | 1923 | 甲陽中 | 4-3 | 姫路中 |
第10回 | 1924 | 第一神港商 | 12-0 | 甲陽中 |
第11回 | 1925 | 第一神港商 | 10-1 | 神戸二中 |
第12回 | 1926 | 第一神港商 | 2-1 | 関学中 |
第13回 | 1927 | 第一神港商 | 8-3 | 甲陽中 |
第14回 | 1928 | 甲陽中 | 4-3 | 神戸二中 |
第15回 | 1929 | 関学中 | 7-4 | 神戸一中 |
第16回 | 1930 | 甲陽中 | 3-0 | 明石中 |
第17回 | 1931 | 第一神港商 | 3-0 | 育英商 |
第18回 | 1932 | 明石中 | 3-0 | 甲陽中 |
第19回 | 1933 | 明石中 | 3-0 | 育英商 |
第20回 | 1934 | 神戸一中 | 2-1 | 明石中 |
第21回 | 1935 | 育英商 | 6-1 | 明石中 |
第22回 | 1936 | 育英商 | 7-1 | 明石中 |
第23回 | 1937 | 滝川中 | 2-1 | 甲陽中 |
第24回 | 1938 | 甲陽中 | 4-1 | 滝川中 |
第25回 | 1939 | 関学中 | 3-0 | 明石中 |
第26回 | 1940 | 北神商 | 3-0 | 甲陽中 |
第27回 | 1941 | 大会中止 | - | - |
第28回 | 1946 | 芦屋中 | 4-0 | 関学中 |
第29回 | 1947 | 神戸一中 | 7-6 | 三田中 |
第30回 | 1948 | 県芦屋 | 5-3 | 神戸二中 |
第31回 | 1949 | 県芦屋 | 9-0 | 尼崎工 |
第32回 | 1950 | 明石 | 6-2 | 兵庫工 |
第33回 | 1951 | 県芦屋 | 2-0 | 育英 |
第34回 | 1952 | 県芦屋 | 8-1 | 育英 |
第35回 | 1953 | 県芦屋 | 13-3 | 育英 |
第36回 | 1954 | 滝川 | 2-0 | 赤穂 |
第37回 | 1955 | 市神商 | 4-2 | 明石 |
第38回 | 1956 | 県尼崎 | 2-1 | 洲本 |
第39回 | 1957 | 育英 | 2-1 | 県尼崎 |
第40回 | 1958 | 姫路南 | 4-0 | 報徳 |
第41回 | 1959 | 滝川 | 2-0 | 育英 |
第42回 | 1960 | 明石 | 1-0 | 育英 |
第43回 | 1961 | 報徳 | 2-0 | 県尼崎 |
第44回 | 1962 | 滝川 | 6-0 | 柏原 |
第45回 | 1963 | 市西宮 | 6-5 | 姫路南 |
第46回 | 1964 | 滝川 | 1-0 | 育英 |
第47回 | 1965 | 報徳 | 1-0 | 育英 |
第48回 | 1966 | 報徳 | 5-2 | 洲本 |
第49回 | 1967 | 報徳 | 4-0 | 三田学園 |
第50回 | 1968 | 市神港 | 1-0 | 尼崎西 |
第51回 | 1969 | 東洋大姫路 | 3-0 | 尼崎西 |
第52回 | 1970 | 滝川 | 9-2 | 洲本 |
第53回 | 1971 | 報徳 | 17-1 | 山崎 |
第54回 | 1972 | 東洋大姫路 | 4-2 | 市神港 |
第55回 | 1973 | 東洋大姫路 | 4-3 | 滝川 |
第56回 | 1974 | 東洋大姫路 | 11-2 | 加古川西 |
第57回 | 1975 | 洲本 | 3-1 | 津名 |
第58回 | 1976 | 市神港 | 6-0 | 東洋大姫路 |
第59回 | 1977 | 東洋大姫路 | 3-0 | 市尼崎 |
第60回 | 1978 | 報徳 | 3-2 | 洲本 |
第61回 | 1979 | 明石南 | 1-0 | 市尼崎 |
第62回 | 1980 | 滝川 | 4-2 | 報徳 |
第63回 | 1981 | 報徳 | 5-1 | 東洋大姫路 |
第64回 | 1982 | 東洋大姫路 | 10-0 | 市川 |
第65回 | 1983 | 市尼崎 | 8-0 | 洲本 |
第66回 | 1984 | 明石 | 3-2 | 村野工 |
第67回 | 1985 | 東洋大姫路 | 2-1 | 報徳 |
第68回 | 1986 | 東洋大姫路 | 8-7 | 滝川第二 |
第69回 | 1987 | 明石 | 4-1 | 高砂 |
第70回 | 1988 | 滝川第二 | 7-4 | 東洋大姫路 |
第71回 | 1989 | 神戸弘陵 | 11-1 | 神港学園 |
第72回 | 1990 | 育英 | 9-8 | 東洋大姫路 |
第73回 | 1991 | 村野工 | 5-3 | 神港学園 |
第74回 | 1992 | 神港学園 | 7-4 | 滝川第二 |
第75回 | 1993 | 育英 | 1-0 | 姫路工 |
第76回 | 1994 | 姫路工 | 2-0 | 飾磨 |
第77回 | 1995 | 尼崎北 | 5-2 | 神戸弘陵 |
第78回 | 1996 | 神港学園 | 15-3 | 育英 |
第79回 | 1997 | 報徳 | 9-6 | 神港学園 |
第80回 | 1998 | (東)報徳 | 18-3 | 仁川 |
(西)東洋大姫路 | 3-2 | 姫路工 | ||
第81回 | 1999 | 滝川第二 | 19-0 | 市川 |
第82回 | 2000 | 育英 | 11-0 | 関学 |
第83回 | 2001 | 東洋大姫路 | 4-2 | 姫路工 |
第84回 | 2002 | 報徳 | 5-0 | 神戸国際大付 |
第85回 | 2003 | 神港学園 | 2-1 | 東洋大姫路 |
第86回 | 2004 | 報徳 | 12-8 | 市尼崎 |
第87回 | 2005 | 姫路工 | 3-2 | 神戸国際大付 |
第88回 | 2006 | 東洋大姫路 | 5-4 | 神港学園 |
第89回 | 2007 | 報徳 | 10-6 | 神戸国際大付 |
第90回 | 2008 | (東)報徳 | 2-1 | 神戸弘陵 |
(西)加古川北 | 5-2 | 洲本 | ||
第91回 | 2009 | 関学 | 4-1 | 育英 |
第92回 | 2010 | 報徳 | 4-0 | 市川 |
第93回 | 2011 | 東洋大姫路 | 6-0 | 加古川北 |
第94回 | 2012 | 滝川第二 | 6-2 | 加古川北 |
第95回 | 2013 | 西脇工 | 3-2 | 東洋大姫路 |
第96回 | 2014 | 神戸国際大付 | 11-1 | 三田松聖 |
第97回 | 2015 | 滝川第二 | 8-2 | 明石商 |
第98回 | 2016 | 市尼崎 | 3-2 | 明石商 |
第99回 | 2017 | 神戸国際大付 | 4-0 | 明石商 |