この数年、物体としての自分について考えることが増えた。人間社会、とくに都市で生活していると、比較的考えなくても済むことだった。社会の中で過ごしていると、物体や動物としてではなく、人間として何かをすることが多い。働いたり、お金を使ったり、公共のものを利用したり、警察や消防に守ってもらったり。知らない人同士でも、人間として互いに関わるような過ごし方をしている。
だけど僕は紛れもなく、水分や骨や肉でできた動物であり、それは物体なのだ。人間であるからといって動物でなくなることはないし、物体でなくなることもない。いつでも同時に実現している。いくら強い権力や筋力を得ても、呼吸によって二酸化酸素を吐くことは変わらないし、地球の裏側に瞬間移動することもできない。物理という大きなルールの土台の上のわずかな領域に、人間社会は存在している。ウイルスや気候変動などと対峙(たいじ)する時間が多かったのも、そういうことを意識する原因かもしれない。
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