きょう12月17日、名古屋市内の中高生たちが街頭募金に立つ。学校の枠を超え自主的に集うグループで、阪神・淡路大震災の遺児を支援するのが目的だ。大震災の起きた日にちなみ、「17日募金」と銘打って毎月17日に取り組まれる活動は、先輩から後輩へと引き継がれた。15年間途切れず、今も約20人が参加する。
大震災の翌18日、同市内では多くの学校で生徒らが募金に取り組んだ。それを知った東海高校の久田光政教諭(53)が各学校を束ね、17日募金は始まった。被災地の現状を知ろうと、年2回は神戸や芦屋を訪ねる。
「まだ援助が必要、と訴えても、最初は自分自身にその実感がなかった」と東海学園高3年生の渡部麻衣さん(17)。しかし、空き地が点在する被災地を歩き、なお残るつめ跡を知った。がれきの中から引き上げた遺体を「重かった…」と振り返る語り部の話に、胸がつまった。
深く考えることのなかった震災が、ひとごとではなくなった。もし、自分が災害で親を失ったら…。そんな想像をすると、照れがあった募金の呼びかけにも自然と熱が入った。
震災を知ることが視野を広げた。久田教諭は「この経験は、いつか東海地震が起きたときに必ず役立つ」と信じている。
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こうした息の長い取り組みとともに、大震災以降も相次ぐ自然災害に、直後の被災地支援も定着した。新潟県中越地震9万5千人、石川県能登半島地震1万6千人…。大災害のたびに各地からボランティアが駆け付け、物資が集まる。
今夏の兵庫県西、北部豪雨では、2008年に同様の豪雨災害に見舞われた愛知県岡崎市からボランティアが訪れた。佐用と岡崎。二つの被災地をつないだのは、佐用の復旧復興のために、神戸のボランティア団体が立ち上げた混成グループ「チーム神戸」だった。
代表の金田真須美さん(50)は、岡崎豪雨のときも被災地に入り、車で寝泊まりしながら炊き出しなどに走った。その金田さんが、今度は佐用で廃棄物搬送用の重機を求めている-。
事情を知った岡崎市の解体会社社長千葉光男さん(63)は「恩返しに」と、トレーラーにパワーショベルを積み、社員ら11人と佐用へ向かった。道路をふさぐほど大量にあった廃棄物の家具や家電を集めては、集積場まで運んだ。
千葉さんは「困っているときには助けてもらい、困っている人がいれば支える。当たり前だけど、幸せな関係だよね」と話す。災害があれば、次も駆け付けるつもりだ。
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15年間で広がった被災地支援の輪。17日募金に取り組む名古屋市の中高生たちに託された善意の浄財も、08年度までの累計額で約3千万円にも達した。被災地の約400の中学、高校を通じて受給者を募集し、これまでに延べ519人の遺児に届けてきた。
「名古屋、神戸と離れていても、同世代を支えたい」「まだ心の傷はいえていないはずです」。震災15年目最後となるきょうの活動でも、繁華街に若い訴えが響くはずだ。さらに19、20日、生徒たちは神戸市長田区などを訪れ、まちづくりの話を聞く。
(記事・田中陽一)
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阪神・淡路大震災は来年1月17日、発生から丸15年となる。大震災は未曾有の被害をもたらす一方で、貴重な教訓も残した。支え合いの大切さだ。その形はさまざまだが、15年をへて強くなった絆(きずな)もあれば、ほころび始めた絆もある。支え合いの今を報告する。
2009/12/17