その建物は懐かしさを感じさせた。約120年前の民家を移築した神戸市長田区の「御蔵通5・6・7丁目自治会館」。そこで今月6日、自治会主催のもちつきがあった=写真。
「独り暮らしだけれど、いろいろな行事があり、皆が声を掛けてくれる」。8月に転入してきた竹野百合子さん(74)は話す。体を温めたのは、振る舞われたぜんざいだけではなかった。
阪神・淡路大震災で、木造長屋や店舗、町工場が密集していた一帯は焼け野原になった。市は、5・6丁目を対象に復興土地区画整理事業を計画した。
しかし、事業が進んでも、借家暮らしだった人の多くは地元に戻れなかった。家主が資金難などで住宅再建を断念したためだ。市が1999年に建てた借家人ら向けの「受け皿住宅」も、いったん別の公営住宅に入れば入居は難しかった。
人が戻らない。空き地も広がっていた。
◆
「人が集まり元の住民も足を運べる街にしたい」
住民や地主らによる「町づくり協議会(町協)」は2004年、ボランティアと一緒に、交流の場として兵庫県香美町から古民家を移築。劇作家で俳優の唐十郎さんら多くの文化人を招いて講演会を開き、プロ歌手による唱歌の会を催した。ユニークな活動は耳目を引き、新聞やテレビでも再三、取り上げられた。
ところが、そこに落とし穴があった。
町協は区画整理が完了した翌年の06年、空き地に芸術家らが作品展示する催しや朝市などを計画。兵庫県の助成事業に採択され、復興基金から1000万円の補助を受けることになった。
思わぬ反応が一部住民から返ってきた。「派手な計画だが、地元にメリットはあるのか」。町協と会員が重なり、震災で休止していた活動を01年から再開していた自治会は、臨時総会で町協の解散を提案。理由をこう説明した。
「町協は地区住民全員の生活環境を守るための組織であり(中略)事業活動は、本来の姿から逸脱している」
◆
当時の町協会長田中保三さん(69)は「行政の先を行く取り組みでなければ地域は変わらない」と訴えたが、理解は得られなかった。ほかの役員と相談し、県補助金の辞退と解散を決意。今は「これまで世話になった人たちへの恩返し」と、修学旅行生らへの震災経験語り継ぎや、ほかの災害被災地への支援を続ける。
ただ、活動のきっかけとなった地域の課題は未解決のままだ。御蔵通5・6丁目の人口は11月末現在、震災直前の647人から531人に減り、約6割は震災後の転入者とみられる。65歳以上の占める高齢化率も27%と市内平均の22%より高い。
自治会は、町協から管理を継いだ自治会館を拠点に「身の丈に合った活動」を模索する。恒例のもちつきなどに加え、11月にはバーベキューを楽しむ親睦会(しんぼくかい)を初めて開くなど少しずつ行事を増やしている。
役員の森本薫さん(40)は「観光地ではない。外から人を呼び込む仕掛けは不要だろう」と話し、続けた。「新住民や幅広い世代がもっと参加できるよう工夫しなければ」(石崎勝伸)
2009/12/22