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(4)しこり 区画整理ありき絆分断
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震災復興土地区画整理事業が行われた森南町=神戸市東灘区森南町1
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震災復興土地区画整理事業が行われた森南町=神戸市東灘区森南町1

震災復興土地区画整理事業が行われた森南町=神戸市東灘区森南町1

震災復興土地区画整理事業が行われた森南町=神戸市東灘区森南町1

 JR甲南山手駅から南西へ、住宅が整然と広がる。神戸市東灘区森南町。阪神・淡路大震災で建物902棟の66%が全半壊し、約80人が亡くなったが、神戸市が進めた復興土地区画整理事業で、街並みはすっかり生まれ変わった=写真。

 しかし、事業をめぐる住民間の意見対立は、地域の絆(きずな)にくさびを打ち込んだ。しこりは今も残るという。

 住民の意見を吸い上げ、市と交渉する役割を果たした「まちづくり協議会(まち協)」は1996~97年、1丁目、3丁目がそれぞれ離脱し三分裂。1丁目を除き、既に解散した。

 3丁目のまち協は一時、自治会への組織改編を模索したが、住民アンケートで「役員として活動したい」との回答はなかった。「あの時のしんどさが尾を引いているから」とまち協の元会長原正澄さん(61)は言う。同じく自治会結成が見送られた2丁目まち協の元代表前田広光さん(69)も「組織にしばられることへの不自由さを心配する住民が多かった」と振り返る。

 まち協の分裂、自治会結成の頓挫という経緯を経て、地域に今、コミュニティーづくりを積極的に醸成しようという空気はない。

    ◆

 意見対立の引き金になったのは、市が地震約1カ月後に示した当初案に盛り込まれた「防災道路」だった。地域を東西に貫く幅17メートルの道路は「災害に強いまちに不可欠」とされた。しかし、地域では戦前、大規模な区画整理が行われ、既に6メートル幅の道路が縦横に走っていた。事業の必要性を疑問視した住民は、街をほぼ元の姿に再建する対案を市に提出し、指針となる憲章に、こう記した。

 「地域の付き合いやコミュニティーを育てていきます。それはまた、災害時の大きな備えともなるでしょう」

 これを受け、市は防災道路を棚上げ。住民らが道路や公園整備のために土地を出し合う「減歩」の割合を2・5%と、低く抑える修正案を提示した。

 防災道路が消えたことに、白紙撤回を主張する住民は「この街に区画整理がいらないことを露呈した」と勢いづいた。一方、「白紙撤回は毛頭考えていない」と繰り返す市の姿勢に、地域外へ避難中の住民には「街に戻るため、市と早く合意すべき」との焦りが生まれていた。地震発生から1年以上がたっていた。

 意見対立は、まち協の内部で表面化し、分裂という事態に発展した。その後、各まち協は、修正案を基に市と合意。2005年3月、全地区で計100億円を超える事業が完了した。

    ◆

 被災地の18地区で計画され、残るのは1地区だけとなった公共施行の復興土地区画整理事業。神戸市などは、住民との「協働」で進め、その成果として住環境と防災性の向上が図られた-と総括する。

 だが、2丁目で半世紀近く暮らし、分裂前の森南町のまち協で事務局員を務めた大川真平さん(54)の評価は違う。「まず区画整理ありきという姿勢と説得力不足が、今の状況を招いたと私たちは思っている」と市の手法を批判し、こう続けた。「これをなかったことにすれば、将来の災害被災地で同じことが繰り返される」(石崎勝伸)

2009/12/21
 

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