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(3)ふるさと 自分らしさ取り戻す
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 「先生がいた理科準備室が、学校で一番居心地のいい場所だったな」。西宮市に住む私立高校1年生の男子生徒(16)は、5年前のことを懐かしそうに話した。

 通っていたのは西宮市立広田小学校。2004年、5年生の時、教育復興担当教員だった神田英幸さん(61)との交流が始まった。神田さんは保護者を対象にしたアンケートを見て、この生徒のことが気になった。母親は「甘えることや泣くことを我慢しているように見えます」と書いていた。

 阪神・淡路大震災当時、生徒は1歳だった。西宮市にあった自宅は全壊。避難所、仮設住宅で暮らし、転居を重ねていた。神田さんは「この子は、見守る必要がある」と感じた。母親と面会を重ね、生徒にできるだけ声をかけるようにした。

 生徒は最初、神田さんとかかわりたくなかったという。

 「でも、同じ阪神ファンと分かって、親しみを感じるようになった」。神田さんのいる理科準備室をのぞいては、所属していた少年野球チームの話をしたり、苦手の算数を教えてもらったりするようになった。「日に2、3回会いに行っても、いつも温かく迎えてくれた。学校に行く楽しみができた」

 絵が好きで、神田さんを描いたこともある。車を運転する姿。「卒業式の後に渡したら、驚いた顔をしていた」と笑う。

 現在は陸上競技に打ち込む日々。インターハイ出場という目標がある。「気が付いたら、自分の意見や気持ちを口に出せるようになっていた。先生との時間は大きい。自分でも不思議なくらい変われたから」

    ◆

 神戸市灘区の歯科衛生士、水谷麻祐子さん(24)は、母校の神戸市立渚(なぎさ)中学校を「ふるさと」と呼ぶ。

 震災で、同区内の自宅がつぶれ、親類の家や仮設住宅を転々とした。1998年、中学2年生の時に渚中へ。9人のクラスで学校生活が始まった。

 全員が被災し、転校先でのいじめなど、多くのつらい記憶を抱えていた。復興担当教員を中心に、先生たちは常にそんな生徒たちのそばにいた。休み時間には、飼っている犬のこと、家であった出来事など、どんな話でも熱心に聞いてくれた。

 「それまで、先生は遠い存在だった。渚中ではお父さんやお母さんみたいで、安心してありのままの自分でいられた」

 勉強が楽しくなり、高校を卒業して歯科衛生士の資格を取った。「中学校で人を信じられるようになった。先生たちに出会えなかったら、道を踏み外していたかもしれない。恵まれていたんだなと思う」。震災後、想像する気になれなかったという未来を、水谷さんはしっかりと歩む。(仲井雅史)

2009/12/1
 

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