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(2)乖離 「圧死」にも生存の余地
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 人はどう死んだのか。阪神・淡路大震災の実像を知ろうとするとき、すべての死者の死因を一括して示す公式統計さえ、この国には存在しない。

 死亡者がいた市町に資料を求めた。「関係書類はすでに廃棄した」「当時の担当者に聞いたが分からない」というところがあった。時間をかけ、ようやく出てきた資料も、死因欄には「災害死」「外傷」など、状況がまったく分からない記述があった。死因の分類も、自治体ごとに違った。

 安置所に運び込まれた膨大な遺体。遺族が引き取るには、医師が書く「死体検案書」が必要だった。全国から法医学の専門医が応援に入ったが、それだけでは対応できず、日常的に検視をしない臨床医も延べ三百人以上加わった。死因のあやふやさには、そんな背景もある。

 「遺体はきれいだった」。百人以上が亡くなった神戸市東灘区本庄町で遺族に話を聞くと、驚くほど同じ言葉を聞いた。

 店舗付き住宅の二階で寝ていた一人暮らしの北野かよさん=当時(79)=は、地震当日の夕方、尼崎市から駆け付けた家族らに発見された。築五十年を超える家。すさまじい倒壊だったが、長女の高津勝子さん(60)は「傷もなく、寝ているようだった」という。

 同じ町内で、自宅一階に埋もれた両親を救出しようとしていた藤谷聡さん(43)の場合は、数時間、閉じ込められた二人と会話ができていた。父は途中で亡くなった。救出された母は、外傷がないように見えたが翌朝、病院で息を引き取った。

 「圧死」とされる人々にも、さまざまな最期があった。

 市町からの資料を基にまとめた死因は、直接死の71%が「窒息・圧死」だった。「震災死はほとんどが圧死」といわれる一般的な感覚と、乖離(かいり)はないように見える。

 しかし、震災時、兵庫県の常勤監察医で、約二百五十人の検視に当たった横浜市立大学の西村明儒(あきよし)助教授(法医学)は、「震災死=圧死」という思い込みに警告を発する。

 「窒息と圧死は違う。圧死という言葉でひとくくりにすべきでない」

 西村助教授が神戸市内の死者約三千六百五十人の検案書を調べた結果、最も多い死因は、胸部や腹部を圧迫されて呼吸ができなくなる「窒息死」で、54%。一方、体の厚みが変わるほどの激しいダメージを受ける「圧死」は12%にすぎない。

 窒息死の多さは、「緩やかな圧迫」が多かったことを物語る。

 「圧死は生存空間が全くなく、絶望的。窒息死なら、寝ている横にちゃぶ台があり、落ちてきた天井と体の間にわずか十センチでも空間ができれば、助かったかもしれない。三十分以内の救出なら、助かった人もいるかもしれない。圧死と違い、そんな可能性が残る」

 兵庫県医師会に四年前、「臨床警法医会」が発足した。検視など法医学分野の研修を始めている。

 昼間の災害なら、どこに誰がいるかも分からず、身元確認だけで相当の時間がかかる。津波被害なら、遺体が見つからないこともある。

 死者にどう向き合うのか。死者に何を学ぶのか。早朝の震災でさえ混乱した経験は、その難しさを突き付ける。

2004/4/21
 

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