神戸市長田区日吉町五の倒壊した自宅から自力で脱出した林絹江さん(67)は、遠くで上がる炎を何気なく眺めた。
「お父さん、人呼んで来るから待っててね」
がれきに埋もれて動けない夫の穣弥(じょうや)さん=当時(57)=に声をかけた。幸い、近くに住む息子たちが駆け付けてくれた。
この日は無風に近く、延焼速度は緩やかだったとの記録もある。
現場の感覚は違う。「火はあっという間に迫ってきた」と絹江さん。火の粉が舞い散る中、みんな必死で救助を続けた。その時、がれきの奥から声がした。「もう、ええ」。穣弥さんが息子に叫んでいた。「お母さんのそばにいてやり」
絹江さんは、凍り付く思いがした。炎の中へ入ろうとした。息子と娘に止められた。
消防隊がこの現場に到着したのは、家が燃え尽きた後だった。
地震当日、市内の約百地域で火災が起きた。昔ながらの木造長屋が残る長田区に、火災は集中した。
水が出ない-。岡田照男さん(72)=同区水笠通六=の記憶は、怒りと無力感に満ちている。井戸や風呂を探し回ったが、まちは、バケツリレーでは手に負えないほどの炎に包まれていた。
防火水槽やプールを頼る消防も非力だった。そもそも、各町に一基あるかないかの百トン入り防火水槽では「一戸建て二、三軒しか消せなかった」(神戸市消防局)。
「結局、被災地はまた“燃えやすいまち”になったのではないか」
今年三月の「防災まちづくりセミナー」。当時、神戸大教授だった室崎益輝・消防研究所理事長は、自治体職員ら百三十人に疑問をぶつけた。
都心に泉をちりばめたローマ。木造の家並みを石やれんが造りに変えたロンドン。大火を機に、都市は“燃えないまち”へと成長してきたのではなかったか-。「机上の空論ではない都市防災計画を」
国土交通省は昨年、大火が懸念される木造密集市街地を公表した。兵庫県内では十一地域三百ヘクタールが含まれた。しかし、実効性のある対応策は、誰も打ち出せずにいる。
日吉町の焼け跡から、穣弥さんの白い骨が見つかった。「私たち家族はけが一つなかった。お父さんが守ってくれた」。絹江さんは、そのかけらを今もお守りにしている。
阪神・淡路では、五百人余りが「焼死」または「焼死の疑い」とされる。四百四十四人分の死体検案書を調べた上野易弘・神戸大医学部教授(法医学)によると、「85%は骨だけの状態で見つかった」。
既に亡くなっていた遺体が炎に焼かれたケースもあったはずだった。焼死の実像も、よく分かっていなかった。
2004/4/23